広告が先か、建築が先か

 今年春、JR渋谷駅のファサードが建築家隈研吾氏のデザインによって一新した。ガラスに雲の写真をプリントした渋谷駅の新しい顔は、今のこの街の感覚にマッチしていると思う。ところが、せっかく隈氏がデザインした駅のファサードは、数枚の巨大広告に覆われて、その半分も見えなくなってしまっている。ただでさえ建築の外壁は商業化が激しい渋谷駅前では、このリニューアルが行われてから、一層その度合いを強く感じるようになった。

 渋谷駅前の変化として、その前段階としてあったのが、2000年のQFRONTの登場だろう。駅前のスクランブル交差点に面しての絶好の立地に、建築プロデューサー・浜野安宏氏が作り出したビルファサード全体を画面にした巨大広告ディスプレイは、新しい時代の渋谷を象徴する存在となった。そして気がつくと、スクランブル交差点に面しては三つの広告ディスプレイが常に稼動し、信号待ちをする人々に対して、これでもかという迫力で途切れることもなく、コマーシャル映像やミュージックビデオを流しつづけるようになった。

 東京の街並みがちぐはぐで決して美しくないのは、何も今に始まった話ではない。いやが応でも視界に入る、看板、広告、電柱、違法駐車。それにしても最近、特に広告に関してはその進出度があまりだと思うほどになってきた。広告の媒体になっているのは建築だけではない、電車やバスの車体、駅の構内など、今まで「公共」だと考えられていた場所である。この変化は、都市の使われ方が変わってきただけでなく、デフレ不況が続くなかで、そうでもしないとやっていけないという事情があるからなのだろうが。

 渋谷に追随して、町の中心である交差点や駅前にコマーシャル映像を映し出すディスプレイ=オーロラヴィジョンが東京の町には続々とできている。新宿南口、原宿駅前、池袋、そして銀座。以前なら考えられないことかもしれないが、今や、銀座四丁目の交差点には、三越デパートと三愛ドリームセンターの二つの建物に、この電動広告板が掲げられている時代になっている。

 今や街自体が、テレビや雑誌、新聞のような広告媒体になりつつある。そのもっとも強力な場が多くの人が集まる駅であり、交差点であり商業ビルとなっている。そこで侵食されるのはまず建築。そういう限りない商業的価値を持っている立地では、建築はまず広告を載せるための媒体になってしまう可能性を持つ。

 今や、広告がつくことが前提条件、または周りにいくら強烈な看板があってもOKというところから戦略をたてていかないと、こういった立地にひとかどの建築を作ることはむずかしい。この東京の中心の過酷な環境に耐える建築作品を作るのは、今の時代の建築家にとって、もっとも因果な難題なのかもしれない。

(『東京人』副編集長)

 
  JR渋谷駅ハチ公口  
JR渋谷駅ハチ公口