[続東京建築グルメ] 最終回「永遠の建物」

■ 東建月報2011年3月号掲載


正真正銘最終回である。これまで、さまざまなテーマで、都内に残る近代建築から、星1つ〜星5つにふさわしい名作を選んできた。今回は最後なので、星の大判振舞いとする。これまで取り上げた建物のなかから明治、大正、昭和(戦前)、戦後から1件ずつ、後世に伝えるべき名建築=「永遠の建物」を再度選んでみたい。

まず明治から。この時代、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)という超弩級の建築があるけれど、別格にすぎる感があるし、国宝を選ぶというのも芸がない。そういうわけで、明治時代の建 築からは、旧岩崎邸庭園洋館を選ぶ。岩崎財閥三代目の久彌が明治29 年(1896)に建てた邸宅は、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計。装飾性の強い左右非対称のたたずまいに、玄関部の高塔がアクセントをそえる。南側にベランダを配し、夏の直射日光を遮るよう配慮がなされている点も日本の風土に通じたコンドルならではである。内部空間も壮麗だ。別棟の和館、撞球室と連なる三段構えの邸宅は、明治時代における上流階級のライフスタイルをうかがわせる貴重な財産として、後世に伝えていくべきである。星5つ。

大正時代からは、自由学園明日館を選出する。大正12 年(1923)、未知の建築「帝国ホテル」で日本人の度肝をぬいたアメリカ人建築家フランク・ロイド・ライト。彼が東京に遺したもうひとつの名建築が、自由学園明日館である。大正10 年(1921)1月、婦人運動の先駆者として知られる羽仁もと子・吉一夫妻は、帝国ホテル建設工事中のライトを訪ね、創立を予定していた学園の校舎の設計を依頼した。予定敷地の目白は当時、緑豊かな郊外地で、ライトが理想とした「プレーリー・ハウス(草原住宅)」に適した条件にあり、自由学園の建学精神にライト自身共鳴したこともあって、「明日館」という歴史的な学校建築が実現した。低く抑えられたボリュームと深い軒、連続する幾何学形態、大谷石の使用などがライト独特の作風を示すが、なんといっても最大の魅力は、帝国ホテルにも通じる内部空間の魔術である。床の高低差を巧みに生かした設計と光のドラマ。物語性に満ちた空間体験は、ライト建築の醍醐味そのものだ。永遠の学校建築に、星5つ。

戦前は激戦区だが、比類ない完成度と存在感の大きさから、お堀端の明治生命館に栄冠を。10本の円柱が並ぶ左右対称の重厚な全体像。柱の頭部にはアカンサスの葉をかたどった精緻な彫刻(コリント式柱頭飾り)が施され、軒まわりはじめ、随所に見られる装飾は、西洋建築の様式を習熟した建築家、岡田信一郎のみがなし得た高みに到達している。各部のプロポーションも完璧といっていい。「様式の名手」と謳われた岡田は、この明治生命館の完成を見ることなく、48 歳の若さで世を去った。遺作となった明治生命館は、岡田信一郎が、自身のすべてを賭けて望んだ渾身の建築であると同時に、明治期以来、日本が西洋から学んだ建築様式の終着点を刻んだ名作といえる。星5つは当然といえよう。

最後に、戦後建築を。丹下健三の代表作、国立代々木屋内総合競技場(代々木体育館)である。第一体育館・第二体育館からなるこの競技場は昭和39 年(1964)、東京オリンピックの競泳競技(第一)、バスケットボール(第二)の会場として建設された。橋梁に用いられる吊り構造を応用した独創性、ダイナミックな力の流れが率直に視覚化された外観は、見る者に圧倒的な感銘を与える。第一体育館は2本、第二体育館は1本の主柱を持ち、2つの異なる形態が織りなす群造形が、世界的にも指折りの美観を実現している。同年に竣工した東京カテドラル聖マリア大聖堂と並ぶ建築家・丹下健三の最高傑作であり、日本の近現代建築史上屈指の名建築といっていい。将来の国宝に星5つを贈り、本連載の結びとしたい。


★★★★★ 旧岩崎邸庭園洋館竣工:1896年(明治29)
★★★★★ 自由学園明日館竣工:1921年〜 1927年(大正10〜昭和2)
★★★★★ 明治生命館竣工:1934年(昭和9)
★★★★★ 国立代々木屋内総合競技場竣工:1964年(昭和39)