[シリーズ・東建この人C] 耐震部会長 宮澤茂氏

■ 東建月報2011年8月号掲載


診断・改修呼びかけ、バックアップして11年

耐震部会のスタートは、平成12(2000)年4月に発足した東京の活性化に関する研究会WG「耐震診断チーム」をルーツとする。そのWG の当初からのメンバーであったから、協会での部会活動は11年に及ぶ。WGは、急務の耐震診断や耐震補強において東京建設業協会として何ができるかを検討し、周知啓蒙のためにホームページを立ち上げることにした。その耐震診断HP は、今も協会HP の主要メニューの一つとなっている。

「やはり地震があると、ヒット回数が多くなり、関心を集める」という。他に部会では、東京都が毎年8月、新宿西口広場イベントコーナーで開催する「防災展」に協力して出展していたが、今年は東日本大震災の発災の影響で中止となった。今年の部会活動は、高まる耐震の機運を、さらにバックアップしていくことが中心となりそうだ。

「11年前のWGでは、意見を出せと言われて耐震ファンドを提案した。耐震補強のためにファンドを募り、投資家には利子を還付するが、いざ震災となればファンドを復旧・復興の資金として提供する」というアイディア・マンである。現在の東日本大震災の復興事業でも、ファンドによるインフラ整備案が浮上しているが、それを先取りする発想とも言える。WGで検討するうちに、いつも議論の中心に押し出され、いつの間にかリーダーになっている。そんな不思議な、統率力を持っている。丁寧に、耐震診断・改修の話をするのも、膨大な知識に裏付けられているからだ。

2007年に『耐震診断・改修のススメ』という一般向けの分かりやすいパンフレットを作成した。耐震診断の受け方、耐震改修の技術や工法、各種助成制度などがビジュアルに表記され、防災展でも好評だ。 本業の、前田建設工業鰍ナの仕事も耐震設計や耐震改修のプロフェッションだけに、制度の隅々まで眼が行き届く。前田建設工業鰍ノは昭和52年、千葉大学工学部建築学科を卒業して、入社した。「出身も育ちも長野県駒ケ根市、伊那北高校に進み、千葉大学に入学した。構造設計が専門だった」と語る。

三国共同火力発電所、柏崎終末処理場、富山焼却場と3カ所の大型工事の現場を歩き、昭和56年から設計部門の担当となり、それ以降は設計一筋。設計件数は数え切れないが、「大江戸線清澄庁舎で地下連続壁に壁を打ち増して地下外壁、耐力壁として利用した基本設計、実施設計の仕事が印象に残る」とも。

3年前に機構改革があり、現在のリニューアル事業部に。「今、取り組んでいる仕事はプロポーザルで選定された松阪市庁舎の耐震補強の設計施工、こ れもプロポーザル案件のUR 館ヶ丘団地耐震改修の設計施工が中心」とか。耐震技術の話になると、静かな口調は熱っぽくなる。「当社ではMASTER FRAME 構法を開発し、建物の外側からプレキャストの鉄筋コンクリート部材の柱・梁を取り付けるので、建物内部は使用したまま、短工期に改修でき る。ほかにも柱と壁に溶接金網を取り付けポリマーセメントモルタルを塗って補強するPMG-SWR 工法、連続繊維シートを巻きつけるMARS 工法、鋼 板併用耐震補強繊維シート巻きによるSPAC工法など建物用途や施工条件によりいろいろ選択できるように技術メニューを揃えている」と言う。

趣味に話を向けると、「昔はスキーだったが、今は日本防災士会世田谷支部のNPO 法人化」と語る。世田谷区の呼びかけで、防災士の試験を受けて資格 を取得し、支部の活動を本格化しようとしたら、いつの間にか区認定の支部の話が立ち消えになっていた。それなら独自に支部をつくろうと仲間に呼び掛けているうちに、支部長に推挙されていた。平成21年7月に支部総会を開催し、D型ポンプ操作訓練、防災イベント、講習会などを実施、東日本大震災発災後も情報の発信、現地のボランティア要請の仲介、本部震災レポートの紹介などに取り組んでいる。

もう耐震や防災が生き方そのものになっているのだ。東京都世田谷区在住、57歳。

耐震部会の皆さん
委   員根本望夫安藤建設(株)
 本多義人清水建設(株)
 杉崎良一大成建設(株)
 杉浦 勇(株)長谷工コーポレーション