橋桁が開閉する可動橋であったことで有名な勝かちどき鬨橋の竣工直前時の、貴重なフィルムが発見され、2月5日、土木学会の小野武彦会長(清水建設鞄チ別顧問)から東京都の村尾公一技監に複製が贈呈された。勝鬨橋は、東京市が「東京港修築計画」により昭和8年(1933)6月から着工、昭和15年6月に竣工させた長さ246m、幅22m の鋼製アーチ橋。隅田川を跨ぎ、築地と月島を結んでいる。両岸からのアーチ橋の、中央径間51.6mが跳ちょうかい開する可動部となっていた。平成19年(2007)には国の重要文化財に指定された。

今回発見されたフィルムは、モノクロ無声映画の16ミリフィルム。5分36秒と短いながらも、築地側にあった勝鬨橋変電所(現在の「かちどき 橋の資料 館」)の看板の映像から始まり、機械室の中で操作盤に向かい操作する様子や、可動部である橋の中央径間が徐々に開き、「八の字」に跳開し、その間を大型船舶が通航するシーンが克明に撮影されている。土木学会の土木文化映画委員会が昭和15年に制作したもの。

▲跳開した橋の間を船が通る
(発見されたフィルムより)
写真:土木学会・東京都提供
▲村尾都技監(右)に目録を渡す小野会長(左)

土木学会講堂で行われた贈呈式で、村尾都技監は、「映像は大変貴重な資料であり、ナレーション、テロップを加え、資料館で広く都民に公開したい」と述べた。

「かちどき 橋の資料館」は公益財団法人東京都道路整備保全公社が運営し、勝鬨橋の歴史を伝えるため、橋の部材、発電設備、図面や文献、映像などを展 示、毎週木曜日には橋脚内見学ツアーも実施している。

竣工当時、「東洋一の可動橋」と呼ばれた勝鬨橋は、午前9時、正午、午後3時の1日3回、1回につき約20分開き、大型船舶を通航させていた。昭和22年12月には、都電が橋上を通るようになり、線路も開閉に合わせて敷設されていた。東京オリンピック開催の昭和39年以降は急速に跳開回数が減り、昭和45年11月29日からは固定橋となっている。