江戸開府400年オープニングセレモニー
本年は、徳川家康が征夷大将軍に補され、江戸幕府を開いてちょうど400年目という節目の年にあたり、現在の「首都東京の原型・江戸が誕生した年」にも当たる。平成15年(2003)1月8日、江戸東京博物館1階ホールでオープニングセレモニーが行われ、博物館では「大江戸八百八町展」が開催された(~2月23日)。
 
   家康が幕僚を従え、白帷子(しろかたびら)の徳川軍団を率いて江戸入りしたのは、天正18(1590)年8月1日のことでした。甲斐入部の吉例にならい甲斐奉行が先導をつとめ、江戸南方から入江の西南側を通って北上し、飯倉・麻布・赤坂を経て午後三時に貝塚(現在の麹町平河町~赤坂一ツ木の一帯)に着き、増上寺(当時は赤坂食違のあたり)で簡単な食事をとったのち、午後四時すぎ道灌が築いた江戸城に入りました。
 陰暦の8月1日は八朔といって、農村では初めてその年の新穀を収穫する吉日で、この日を記念する八朔の賀儀は、その後も幕府の重要な儀式となりました。
 ただし、家康はそれ以前に江戸入りし、下僚たちもすでに江戸に駐在しており、八朔(8月1日)の「関東御入国」、「江戸御打ち入り」は新領主入国の華やかなイベントでした。
 
 
  小田原城
天正18年(1590)、豊臣秀吉は小田原を本城とする関東の雄北条氏政・氏直父子を攻撃し、早雲以来五代に及んだ北条氏を滅亡させた。九州を平定し、全国統一に乗り出した秀吉は北条父子に上洛を促したが、それに応えなかったため、前年、北条討伐を命じ、西国大名や水軍も動員し先鋒に徳川家康をあてた。自身は小田原城を望む早川対岸の石垣山に本営を構え、この戦いで軍功をあげた徳川家康に後北条氏の旧領関東を与え、家康はこれに従って江戸に入った。
 
石垣城址より小田原の町を望む
中央の森の左手に小田原城天守閣がある。ここからは眼下の小田原城内の様子が手に取るように分かったという。秀吉はここに80余日を費やして大本営を築くとともに上方から淀君を呼び、部下の大名たちにも家族を呼び寄せさせて持久戦をとった。隠密裡に工事を進め竣工とともに周辺の樹木を切り払い、一夜にして完成したように思わせたので「一夜城」と呼ばれたが、実際は3ヵ月近い日数を要して完成した。
 
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