江戸城の建設  
   
―― 日本最大の城郭づくり進む
菊岡倶也(建設文化研究所主宰  
  富士見櫓(ふじみやぐら)
万治元年(1659)建築の、現存する本丸では最古の遺構です。明暦の大火で天守閣が類焼すると、その代わりにも使われました。ここの石垣は、比叡山山麓の町・坂本近くの穴太(あのう)の石工を発祥とする「穴太積み」です。
 
50年を要して江戸城完成
 いまの東京で、江戸の面影が色濃く残る地域といえば、皇居(旧江戸城)をおいてはないと思います。
 私はヨーロッパ諸国の宮殿を近くで見たことがありますが、皇居は、ヨーロッパでもない、アジアでもない、まさに日本の宮殿です。桜田門から半蔵門あたりの濠に沿って歩くと、高層ビル群と「和」とが調和した美しい空間が見られます。
 今号は、写真で皇居のなかの江戸城を紹介しましょう。
 さて、江戸城の歩みは表1のとおりで、完成までに長い歳月を要しています。
 江戸城建設のスタートを、家康が江戸入りした1590年に太田道灌の江戸城を改築した時から数えれば、およそ50年を要し、家康、秀忠、家光の三代の将軍の時代を経て寛永17年(1640)に完成しました(その後も外郭の建設は続けられます)。
 内濠で囲まれた城内は、本丸・西の丸・二の丸・三の丸・北の丸・吹上の各区画からなり、本丸と西の丸は城内で最も重要な拠点でした。
   
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