[キーマンが語るトウキョウ地図 第1回]建築家 隈 研吾氏「都市を前に進める新たなエンジンが必要」

■ 東建月報2011年4月号掲載

都市を前に進める新たなエンジンが必要

いま、都市・東京はどこにいこうとしているのか。日本の首都という一国の価値観が通用しないグローバル時代にあって、都市の国際間競争、防災・減災、環境、観光、まちとインフラの再生、文化とにぎわい、これらの多様な価値観が問われている。各界第一線のキーマンは、東京をどのように見つめ、この先への展望をどう描いているのだろうか。今月から、各界キーマンの方々にインタビューを行い、それぞれの東京論を語ってもらう。連載シリーズの第1回は、世界的建築家である隈研吾氏。「東京は枯れている」「ディプロマティックなまちづくり」「都市を先に進めるエンジン」「ツルピカの建築からシワのある建築へ」と、独自の表現で語る隈研吾氏の「トウキョウ地図」を聞いた。


隈研吾氏

建築家
隈 研吾
kengo kuma

(くま・けんご)1954年横浜生まれ。1979年東京大学大学院建築学科修了。コロンビア大学客員研究員を経て、2001年より慶應義塾大学教授。2009年より東京大学教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞、同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2002年「那珂川町馬頭広重美術館」をはじめとする木の建築でフィンランドよりスピリット・オブ・ネイチャー 国際木の建築賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。近作にサントリー美術館、根津美術館。著書に『自然な建築』(岩波新書)、『負ける建築』(岩波書店)、『新・都市論TOKYO』(集英社新書)など多数。

――いま都市・東京にどのような印象を抱いていますか

「中国やアジアの都市がここ数年、輝きを増しているのと対照的に東京は枯れ始めている。しかも、その枯れ方が美しくない。経済や人口が停滞すれば、確かに都市の輝きも失われて来るものだが、それが〈わび・さび〉につながる枯れ方ならまだ救われる。だが、ただ枯れている。かつて、東京に中心が移った時の大阪に似てきたな、という感じがする。かつて東京に対し、大阪は商都という個性を持ち、独特の活気と輝きがあったが、枯れ方に失敗したという印象がある。その点、京都は、存在感を保持して、うまい枯れ方をしている」

東京の人々に枯れの認識がない

「かつての東京・大阪という距離より、今の東京・北京間は情報や交流の距離がはるかに近いし、北京の勢いはかつての東京以上だから、その枯れ方も早くなる。ところが問題なのは、東京の人々には、その枯れているという意識がほとんどないことだ。北京やソウルから人がどんどん東京に来て、東京のいいとこ取りをして吸収されているというのに、取られている側には危機の認識がまったくなく、漫然としている」

――安全で安心できる清潔な都市が東京だとは言えませんか

「全体のアベレージでは安全で、清潔な都市だと言えるかも知れないが、だからと言って、それが魅力とはなりえない。統計的な視点では魅力や輝きは語れない。もっと地域に密着した個別の空間や拠点で人を魅きつけているのかどうか。これまでの東京の都市のエンジン(推進力)は、マンション建築だった。80年代から30年、マンションをメインのエンジンにして、同じようなもの、似たようなものをつくってきた。確かに丁寧でクレームのない建築群ができあがったが、それ以上ではないし、その先でもない」

計画嫌い、建築嫌いの時代が深刻

――では、どうすればいいのか、何か対症療法のようなものはあるのでしょうか

「上野千鶴子の『女嫌い』という本を読んで気が付いたのは、女嫌いでなく、今は計画嫌い、建築嫌いの時代になってしまったのだという感慨だ。20世紀前半は計画の時代だったが、20世紀後半からはその反動で計画嫌いが深刻だ。計画の権化みたいな大型開発プロジェクトはみんなから嫌われていく。最近、学生の卒業設計コンペの作品を見たのだが、都市全体のスケールの大きい計画というような作品がゼロなのに驚いた。明らかに指向が変わり、若い人たちが計画嫌いになっている。卒業作品というと、気張って大きなものに取り組む傾向にあったのだが、今の学生は下町みたいな計画的でない、スポット的な景観に情緒的に惹かれている。そういうものが好きだという感性を持っているのはいいのだが、ただし表面的なのが気になる」

世界から遅れ、東京が枯れ始めている

ディプロマティックの知恵が東京を再生

隈研吾氏

「まちづくりは、実は意図的で、政治的にも、金銭的にも、もろもろの力が集められて初めて可能になるのだという戦略的な思考法がまだ分かっていない。これからの東京のまちづくり、都市の魅力には、市民や行政などいろいろな人々を巻き込んでいくディプロマテック(外交的)な力が必要だ。単純な感性だけでなく、いろんな要素、対立、輻輳する意見や考えや勢力をディプロマティックに処理してまとめあげる戦略・戦術が、東京の再生につながる」

――隈さんは世界各国で仕事をしていますが、世界のまちづくりの特徴と比較した、日本のまちづくりの問題点は

「ディプロマティックなまちづくりに本気で取り組んでいるのはヨーロッパで、われわれ日本の建築家はうまく持ち駒に使われていると感じることがある。ヨーロッパには新築の計画に対する抵抗感があるのだが、日本人のぼくなんかが計画し、木なんかを使い、決して流暢じゃない話し方で説明すると、抵抗感が弱まるらしい。そのように外交的な知恵をうまく使って束ねていくワザには感心させられる。それに対してアジア、特に中国は、ある種の楽観性と粗雑さがマッチして、とてつもない建築をドカーンとつくる。まちづくりという包括的な感性はあまりないが、スケールの大きい計画や投資に抵抗感がなく、実に楽観的に実行してしまう大きなパワーがあって、それなりに街の個性が芽生えつつある」

隈研吾氏 隈研吾氏
   ▲「和のモダン」を基調に、安らぎと優しさにあふれた空間
   (サントリー美術館)
   ▲パワーあるまちづくり・三里屯SOHO(中国)

都市を前に進める原理を喪失

「それに較べると日本は、ヨーロッパ、中国どちらの原理もない。都市を前に進める原理がなく、しかも尻すぼみ状況に置かれている。僕はアメリカも主要な仕事の場であるが、アメリカのまちづくりは、ドネーション(募金)的な、大金持ちの人の善意で進めていく原理がある。募金や寄付を通じて、市民の合意、参加意識を育んでいる。ところが、日本は公共的な全体がベースになってまちづくりを進めてきた。その公共的なものが嫌悪感を持たれたせいで、前に進める原理が見失われた。世界的にみたら、日本あるいは東京は、都市を前に進める原理を完全に喪失した、悲惨な場所になってしまった」

美しいシワで街をリ・デザイン

神楽坂・赤城神社内部から隣接するマンションをみる
▲神楽坂・赤城神社内部から隣接するマンションをみる
根津美術館の門からエントランスまでの50mのアプローチ
▲根津美術館の門からエントランスまでの50mのアプローチ。竹という柔らかい緩衝材に沿ってノイジーな表参道から徐々に別の世界に入る(撮影:藤塚光政)

――都内での、隈さんの最近の仕事についてお聞きしたいのですが

「最近、美しいシワということを考える。昨年11月に完成した神楽坂の赤城神社の建て替えでは、神社の余剰地にマンションを建てた。マンションからは参道が庭のように見えるように、逆に神社の参拝客からはマンションがコンクリートの箱に見えないように計画した。参道を少し高くして日当たりを良くしてあげて、気持ち良く参拝できるようにし、その参道の下にマンションのホールをつくった。神社とマンションが一体となっても、シワを失わず、シワを良くしようという、言わば街のリ・デザインをした。うれしいことに、神社の人気が上がり、神楽坂の新たなスポットになっている。地域の一部分だけ地上げして、周りと異質な開発をするエンクロージャー型ではなく、周りと連続したものがつくれた」

――そうしたシワを残して、シワを調和のとれたものに再生するというのは、浅草文化観光センター、根津美術館、サントリー美術館、歌舞伎座という近年の作品にもうかがうことのできる価値観ですね。都市の中にあって、何かほっとするというか、懐かしいというか。

「大きな開発は、ツルツルの整形美女になりやすく不自然なプロポーションのものが多いと思う。シワのあるお婆ちゃんでも素敵な着物を着せてやれば、品があり、またお話を聞きに訪ねていきたいな、と思わせるような計画を考えている。いわば、シワの再発見、再生を僕は目指している」

「建築と名のつくものは、造形がいろいろあっても、結局はツルツル・ピカピカのツルピカになる。そのツルピカを超えたいというのが僕の考えだ。近代日本の、建築の世界にコンクリート、鉄、ガラスという異物が入ってきた時、木造建築はいかにもシワシワでみすぼらしくみえた。そんなコンクリートに対する敗北感、コンプレックスがツルピカの建築にはある。若い人が谷根千(谷中・根津・千駄木)、神楽坂、歌舞伎町というシワに憧れるというのは、もはやコンクリートへの敗北感などない世代だからだ」


公共的足枷を21世紀の都市空間に

浅草の新たなランドマーク、浅草文化観光センター
▲浅草の新たなランドマーク、浅草文化観光センター

――隈さんは、渋谷駅改築に伴うデザインアドバイザーもしていますが、とかくエンクロージャー型やツルピカになりがちになるのではありませんか

「渋谷の場合は、ターミナル駅が中心になったインフラ的で公共的なバランス感覚があり、それがいい意味での足枷になっている。地上げで囲い込み、後はフリーハンドというようなまちづくりはできない。特定の建築だけ突出するのを許さない、周辺の商店街にしても連動していて公共的な足枷がある。それに対して、いかに納得させ、大勢を巻き込める絵が描けるのかがテーマになっている。いい意味での足枷を、21世紀的な美しいシワのある都市空間につなげられればいいと考えている」

――隈さんの好きな東京の景観もやはり、シワのある街並みですか


裏路地には東京のシワがある(新宿区)
▲裏路地には東京のシワがある(新宿区)

「学生が好む谷根千、神楽坂、歌舞伎町から新宿二丁目に抜ける裏路地も好きだな、いいですよ、シワがあって、まったりして。いまやっている歌舞伎座の周辺にも、実にいいシワの風情がある。歌舞伎座の脇の通りに力を入れて計画をつくってある。いままでは壁になっていた側道部分を格子とガラス張りにしてお土産屋の店舗も通りから見えるようにした。それにより、通りの向こう側もいままでと違うたたずまいになるはず。シワが増えて、まちが変わることを期待している」

――ありがとうございました。


 表紙写真は、隈氏が選んだ東京景観の一つ。2008年末、台東区の設計コンペで301の応募作の中から最優秀作品に選ばれた浅草文化観光センターのCGパース。
 木の格子とスクリーンの民家が7層のビルに組み上げられ、「シワ」の数寄屋造りが現代の浅草のランドマークとして蘇る。