水辺、歴史・エコ回廊、そして文化的景観の形成へ

■ 東建月報2011年7月号掲載

イタリアで生み出されたティポロジア(類型学)の手法をベースに人類学、民俗学、そして歩くフィールドワークを駆使し、都市論に新たな光を当ててきた陣内秀信法政大学教授。「東京」では、歴史、エコロジー、水辺、コミュニティという視点から新たな可能性を照射し、「エコ地域デザイン研究所」を拠点にまちづくりの実践にも関わってきた。「東京はエコシティの宝庫」「水辺は都市空間の重要なネットワーク」「外濠の歴史、日野の農は、まち再生の可能性ひらく」「復興ビジョンは地域再生のガイドラインに」「東京は全部、文化的景観に満ちている」と語る陣内教授に、東京の歴史・エコ回廊を聞いた。


竹村公太郎氏

法政大学デザイン工学部教授
陣内秀信
Hidenobu Jinnai

(じんない・ひでのぶ)1947年福岡県生まれ。73年からイタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学。76年ユ ネスコのローマ・センターに留学。帰国後、83年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。東京大学工学部助手、法政大学工学部建築学科助教授を経て、現職。専門はイタリア建築・都市史。『東京の空間人類学』(筑摩書房1985年)でサントリー学芸賞受賞。『都市のルネサンス―イタリア建築の現在』(中央公論社1978年)、『東京』(文藝春秋1992年)『シチリア― < 南>の再発見』(淡交社2002年)、『地中海世界の都市と住居』(山川出版社2007年)など著書多数。

―法政大学大学院のエコ地域デザイン研究所の所長として、東京のまちづくりにも関わって活動されていますが、その観点から、東京の今の問題点は? 

震災に弱さ露呈、もっと分散しコンパクトに

「東京はあまりにも巨大都市となり、それなりに機能分散の試みがなされてきたにもかかわらず、結果的にますます一極集中している。東日本大震災において、道路が大渋滞し帰宅困難者があふれ、都市機能がマヒしてしまった。東京は、都市インフラやライフラインがフル回転して安定した状態を想定して動いているが、一度、震災のようなリスクに遭遇すると、とた んに脆弱さを露呈し、機能しなくなる。そのような飽和状態の都市構造を見直し、職場、商業、住宅、文化施設などを分散させたもっとコンパクトなまちづくりを急ぐ必要がある。2011年9月に開かれるUIA 東京大会では、2050年の東京をどう考えるか、をテーマにわれわれも問題提起していきたいと準備しているが、自然、エコロジー、コミュニティ、歴史という観 点から地域を見直し、価値を発見し、もっと掘り下げて、運動として形成していくことが重要だと考える」

東京のまちづくりはエコシティの宝庫

「いま『もし中央線がなかったら』という題の本を執筆中だ。東京のまちは中央線に象徴されるように、 駅を核にしてまちづくりが展開されてきたが、これはわずか50年ぐらい前のことにすぎない。100年前に遡ると、例えば私の地元の杉並区は神田川ら4本の川沿いに地域が形成されてきたことが分かる。川沿いの微高地に古くから人が住み、湧水を結んで古道が通り、丘の裾に森に囲まれたお寺や神社ができ、集落が形成され、店が並び、にぎわいが醸し出されていく。一度、 後から入り込んだ中央線を外して、東京を俯瞰してみると地域の原型が浮き彫りになり、東京のまちづくりはエコシティの宝庫だったことが分かる。そんな内容を書き上げている」

――これまでの東京との関わりについて

「私は1973年から76年までイタリアに留学し、帰国してまず始めたのが東京のまち歩きだった。法政大学 建築学科に〈東京のまち研究会〉をつくり、学生たちと一緒に歩きながら〈東京〉を発見することだった。最初は根岸など歴史的なものが残っている地区から始めたが、東京への興味はつきない。次第に山の手へ広げ、そのフィールドワークを都市の歴史的系譜で見ていくと、近代化し西洋化した東京の表象ではなく、日本固有のアイデンティティーを残している地区が数多くあることが判明した。こうした活動の過程で、都市空間において一番重要なネットワークは水辺ではないかと思い至った。きっかけは、佃島から舟を出し、水辺を周遊し、水の側から東京の都市を見直したことだった。網目のように水路が都市の中に入り組み、地域と地域をつないでいる東京の都市構造は世界でも例がない」

水辺の開発、まちづくりの総合性を欠

「ちょうどその80年代に東京ブームが起き、それがウォーターフロントへ展開され、東京の水辺にロフト を改築した文化施設やライブハウスなど賑わいを演出する施設が整備され始める。ただ、日本の場合は経済の論理で動いていくので、土地利用上もったいないということでロフト文化を押しのけ、オフィスビルが乱立することになる。バブルがはじけ、オフィスも過剰になってきて地価も下がり始めると、今度は超高層マンションが建ち並ぶ。こうして2000年になると、郊 外よりは水辺のほうが利便性があり、住居からの景観をセールスポイントに超高層マンションが建っていく」

「こうして東京の水辺はどんどん変化し、その意味では時代の写し鏡となっているのだが、それはあくま でも経済第一であって、まちづくりの総合性に欠けるものだった。とりあえずのニーズが優先され、水辺の総合的観点がない。オフィスビルにしてもマンションにしても、集中しているだけで、水辺を考えたデザインや機能や設計になっていないし、コミュニティや賑わいにも欠けている。セレブ風の、その実、隔離され管理されたライフサイクルの空間になっている。果たしてそれでいいのか、というのが私たちの疑問だった。いま東日本大震災を経験したことで、そうした疑問は社会的にもさらに大きくなっていくだろうと思う」

下町の水辺にも新たな光が(旧中川に合流する北十間川(左))
▲下町の水辺にも新たな光が(旧中川に合流する北十間川(左))

―陣内先生が注目している東京のまちはどこでしょうか

歴史とエコを結びつけるコンセプト

「深川、隅田川東側、浅草裏、東日本橋、これらの地区では仕舞屋、町屋、RC 中古ビルなどがコンバージョンされ、独特の味わいのある空間づくり進められている。東京は、歴史とエコという観点から見直すと、実によくできたまちづくりがなされてきた。われわれは歴史・エコ回廊やエコヒストリーという取り組みを提唱し、歴史(都市史)とエコロジーを結びつけることをコンセプトにしている。エコ地域デザイン研究所では2011年度プロジェクトとして武蔵野・多摩プロジェクト、東京都心プロジェクト、日野市連携事業、千代田学という活動に取り組んでいるが、その中でも特に紹介したいのが、外濠と日野での取り組みである」 「日本の城下町では、内濠、外濠があり、内濠は天守閣と結びついて残っているが、外濠はほとんど残されていない。その中で、東京の外濠は現存する稀有の例である。江戸時代の外濠は全長14qに及び、地形は変化に富みリズム感にあふれている。四谷の辺りは掘削し切り通し、自然を生かしながら土木工事がうまく行われており、しかも水の循環に優れている。そして後に土手沿いにソメイヨシノの桜を植栽し、賑わいや祭りを誘導するような付加価値を高めている。一部は戦災のガレキで埋め立てられたこともあったが、地形に見事にフィットして、良きエコ循環をもたらしているから、埋め立てをせず、原型が残されてきた。ところが、江戸城絡みの封建的遺物と見なす風潮もあり、また区界にあたってもいて、人々の関心があまり高くない。行政、われわれ、他大学、そして市民が一体となり、この空間の価値をアピールする外堀フォーラムを行っていきたい。今年もライトアップし、外濠の水上ボートからジャズを楽しむコンサートが開かれる」

―そういうきっかけになったのが千代田学プロジェクトですか

再評価される都心の水辺「外濠」
▲再評価される都心の水辺「外濠」

外濠と周辺の再生ビジョンづくり

「千代田区が地元大学(法政大学)に助成し自由に研究を委託するということで、2007年から09年に 〈350年の歴史遺産/外濠の再生デザインと整備戦略〉という研究成果にまとめたことが基礎になっている。外濠と、これを中軸とした周辺地域を歴史、生態、景観から解明しながら再生ビジョンを描き、さらには東京圏全体の水系の再生をめざし、歴史・エコ回廊ネットワークとして提言しようという試みだ。外濠は千代田、新宿、港の区界に当たっており、各区が関心を持ち、また市民も境界ゆえに牽制し、見合うようなところがあるが、それをわれわれが入り、NPO、他大学と連携して、再発見の運動にしていきたいという思いがある」

――日野の場合はどのような取り組みをしているのですか

「昨年11月に、それまでの研究成果を『水の郷 日野―農ある風景の価値とその継承』(鹿島出版会)という本に研究所編でまとめた。日野市は、その名の 通り、日野自動車との関連が深いが、自動車業界の再編に伴って、日野工場が撤退するなど新しい経済環境に直面し、新しいまちづくりの指針やビジョンが急務になっていた。エコ地域デザイン研究所では、日野用水路再生ワーキンググループの研究成果を踏まえて、2009年度から11年度まで日野市と連携し、地域活性化プロジェクトを協働している」

日野市、農のある風景・水の郷に向けて

「日野市には、まだ農地がたくさん残されていて、東京にこんなに緑と農地があったのかと驚かされる。しかもきれいな用水路があちこちに流れている親水空間でもあり、さらに丘陵地帯の自然に抱かれている。もちろん都市機能、住宅機能も十分あり、それらがバランス良く備わっている地域なのだ。何よりも市長が農耕プラス都市というまちづくりの基本的考えを持っており、W農のある風景、水の郷Wというコンセプトを選択肢の一つに掲げている。私は、新しいまちづくりのあり方として、これは素晴らしい試みだと考えている。何でもないと思われるところに価値を発見し、育て、何でもないところがすごい深みのあるまちになっていく可能性を感じた。それは隣接している八王子や立川の市民にとっても素晴らしいことで、日野市が個性あるまちづくりをすることで、その価値を共有したり、分かち合ったりできるはずだ」

水辺が生きる日野市の住宅街
▲水辺が生きる日野市の住宅街

グローバリゼーションに見捨てられる原型都市を見直す

「日野市のまちづくりに関わっていると、思い出されるのは20年ぐらい前に墨田区役所にいた方が〈原型都市〉という概念を打ちたて、墨田のまちづくりを進めていたことだ。それは商工住を原型とし、町工場をまちづくりの核にしっかりと位置づけていた。それが墨田区らしさなのであるが、その後、グローバリゼーションが言われ、工場は労賃の安い海外へ出ていき、空洞化が始まった。そして工場の跡地には似たようなマンションが建ち、原型都市は原型をとどめない都市になっていく。グローバリゼーションという価値はファスティナブルと逆行して、画一的なものに巻き込んでいく傾向がある。日野市の場合は逆に、グローバリゼーションから見捨てられる近郊農業に着目し、区画整理でべったりしたベッドタウンではなく、新しい価値をもったまちづくりを目指している。都心は風格があってグローバルシティの顔にするにしても、外縁、内陸の地区ごとには一見ムダと思われるところに歴史、文化、コミュニティの価値を発見し、それらを歴史・エコ回廊としてつなげるならば、防災面でも大いに意義があると思う」

――いま防災の話がありましたが、東日本大震災の復旧・復興に直面している中で、陣内先生のお考えは

「そうですね、復興のビジョンがいろいろ言われているが、それは単なる青写真ではいけない。地域の人々の土地への愛情、誇り、海への執着も考慮に入れてコミュニティの絆を大切にして、安全を考えるプランであるべきだ。それを重視することで、地域が潜在的に持つ再生力を存分に引き出すことができる。われわれがエコ地域デザイン研究所で取り組んできた歴史とエコロジーにもとづく地域づくりが復興にあたっても基本になると考える。土地の力を引き出し、防災の視点に立ちながら、地形・風土・歴史に根ざした構想を持ち、地域の再生へのガイドラインを確立すべきである」

歴史ある場所は液状化や災害にも強い

「一方、東京では液状化現象による被害が甚大だったが、よく見ると場所による歴然とした差が見られ る。工業開発、住宅地開発のため急いで造成した埋立地に被害が集中し、内陸に古くから存在する川沿いの伝統的な家屋群の被害は少ない。長い時間をかけて安定した生活空間を築いてきた歴史のある場所は小さな被害に止まり、災害にも強いことが立証された。これから人口減少時代に入り、東京のまちづくりを考えるうえでも、今回の震災は大きな教訓を残しており、これからは歴史のある風土にマッチした安全で安心な場所を中心に、コンパクトに都市や地域をつくり直していくことが重要になるだろう」

――最後に、これからの東京に一言

「カルチャーランドスケープ、つまり文化的景観ということの形成だと思う。自然景観と人間が造った景 観、そのコラボレーションから文化的景観は生まれてくる。文化的景観は日本にはいっぱいあるが、とりわけ東京は全部が文化的景観になりうると言ってもいい。東京をもう一度、文化的遺産という観点から見直そう、ということを言いたい」

――ありがとうございました。


表紙の写真は、陣内教授が千代田区の委託を受け再生ビジョンに取り組んででいる外濠の夜景。ジャズフェスティバルなどフォーラムも行われる。

東京建設業協会第6支部らで主催するシンポジウム「墨田・江東におけるまちづくりへの挑戦」で、陣内教授の基調講演「何故、今、墨田・江東なのか?」が予定されています。18ページにシンポジウムの告知を掲載しています