第5支部は渋谷区、中野区、杉並区で構成されている。ファッションと若者文化の渋谷区、人口密度日本一の中野区、教育と高級住宅の杉並区とそれぞれ特徴のある都市を形成している が、各区では時代の変化を先取りした新たなまちづくりが盛んである。渋谷駅周辺の大改造、再開発によりオープンした中野四季の都まち市、アイディアコンペによる荻窪駅周辺まちづくりなどが話題を集めている。そうしたまちづくりの中でも、時代を超え風化しない歴史的建築や景観が残され、東京遺産の彩りを放っている3区をそれぞれ訪ねてみた。

今月の起点は杉並区のJR・東京メトロの荻窪駅。折しも、杉並区が公募した荻窪駅街づくり企画提案コンペが9月2日に公開され、学生、建設会社、設計事 務所などの3つのグループが金賞を得た。今年秋に、住民参加で発足する「荻窪駅周辺まちづくり協議会」の資料として、今後の検討に反映される。

歴史的建築が新たな姿へ

その荻窪駅南口から歩いて5,6分、住宅地の一角に建つのは、国登録有形文化財の西郊ロッヂング。帽子のような緑の銅板葺き円屋根が魅力の、何ともレトロなデザインの建築だが、新館が賃貸アパート、本館が旅館と立派な現役である。なんで、こんなところに、こんな建物が、とも思うが、新旧混在が荻窪の魅力かも知れない。昭和6年(1931)に本館、昭和13年に新館が増築された。新館は高級下宿旅館として運営されていたが、平成13年(2001)に内部を改築し、木造2階建て、部屋数13の集合住宅となった。ファサードの横文字は、つい「グンヂッロ郊西」と読んでしまいそうだが、こうした表記も時代を表現している。

荻窪駅に戻り、南口駅前から関東バスで芦花公園駅行きに乗る。環状8号線沿いに進み、高井戸駅の次が浴風会前。畑が残る住宅地の先、こんもりとした林に囲まれた約9万m2の敷地に54棟の建物が群居する浴風会。同一敷地内で病院、特養老人ホーム、ケアハウスなど福祉施設を運営している。その本館が、大正15年(1926)に内田祥三・土岐達人の設計による東京都選定歴史的建造物。中央に塔を配置し、垂直線を強調した内田ゴシックの一つ。浴風会は、関東大震災のため自活できなくなった高齢の障がい者や、扶養者を失った人々の救護のため大正14年に設立された財団だ。本館は、関東大震災から立ち上がる、復興の姿勢を表現するかのように屈強なデザインとなっている。園内には様々な大木が生えており、ここで生活する高齢者を励ますかのように「長寿木」と書き添えられている。

その浴風会敷地内で、病院改築・老人保健施設新築合築計画が動き始めた。今年6月から石本建築事務所により実施設計が着手され、来年3月に着工、平成26年(2014)10月に竣工となる。規模は地上6階地下1階、延床面積2万である。

バスで荻窪駅に戻り、JR中央線で中野駅へ。北口を出てサンモール商店街、中野ブロードウェイを抜けて、協永建設鰍訪ねる。清水和夫社長は、今年の第5支部総会で支部長に就任した。

受け身でなく提案の防災活動

 「支部長はこれで、2回目。第5支部は、中野、渋谷、杉並で支部長を、2年ごとのローテーションにより持ち回りしている。これからの支部のテーマはやはり防 災対策。地域の建設業として、いざという時、どう協力ができるか。汎用性のあるブルーシート、軽トラックや軽自動車、さらにスコップなどの道具類、これらを災害時に提供できるようにしたい。中野地区では、区の防災訓練時にも積極的に参加し、避難建物の耐震診断や耐震補強なども提案していく。受け身ではなく、積極的に提案していく活動ができれば」と語る。 総合評価制度の勉強会、現場見学会、行政との意見交換など積極的な活動を展開している。

清水支部長が最も問題にするのは、「単価が下がり、それが末端の職人や安全対策にしわ寄せとなること」と言う。「実行予算を組んで、赤字になるような工事は受注しない。競争環境が正常化しなければ、生き残っていけない。落札率うんぬんと言われるが、そうではなく単価が下がっていることの弊害が問題だ」とも指摘する。

 清水支部長が推薦する「東京遺産」は、中野駅北口から中野通りにかけて約2kmの桜並木。「桜の季節にここを歩くと、それは気持ちがいい」と。だが、今は 桜の季節でないから、「むしろ新しい中野の象徴として、警察大学校跡地の再開発として今年オープンした、中野四季の都まち市を見てもらいたい」と挙げていただいた。協永建設(株)のすぐ近くなので、一緒に案内してもらった。

オフィス、学園、中野に来たる

新たな区画道路が開通し、超高層オフィスビル、1.5haの防災公園、病院が整備され、早稲田大学、明治大学、帝京平成大学のキャンパスが建設中だ。協永建設(株)ら3社JVで建設中の区立中野中学校も計画の一環である。オフィスと学園と商業のまちとして、中野駅周辺は大きく転換しつつある。この再開発で、昼間人口は2万人増加する。さらに中野駅ビルの新設、サンプラザや区役所の改築、警視庁新庁舎なども計画通りを桜が縁どる中野の春。中野通りを出ても桜並木は続く(提供:中野区)「競争環境が正常化しなければ」と語る、清水和夫第5支部長四阿から中へ。哲学堂公園宇宙館東建月報 2012.10 5されている。

清水支部長は「いま工事ラッシュ」と笑う。新しいまちづくりが地域を活性化し、それを担っている自信がみなぎっている。

緑と不思議と防災の哲学堂公園

中野区で、どうしても訪れたいのは、区立哲学堂公園である。中野駅から関東バス池袋駅西口行きに乗り、西武新宿線新井薬師駅を経由して「哲学堂公園入口」で降りる。明治37年(1904)、東洋大学の創設者である井上円了(圓了)が四聖堂を建設したのが、公園の始まりだという。

公園の入口にある哲理門を抜けると、正面が、釈迦・孔子・ソクラテス・カントが祀られている四聖堂、その左には赤い塔の六賢台(聖徳太子・菅原道真・荘子・ 朱子・龍樹・迦か びら毘羅を祀る)、右には宇宙館がある。宇宙館は、玄関口が四あずまや阿の角に設置されて、しかも内部に横斜して位置する特殊構造の皇国殿があり、建築 構造としてアンバランスな不思議な建物。国家社会の原理を講究する堂として建てられたが、そのデザインを見ているだけで、哲学的瞑想にいざなわれる。これらの他に、絶対城、三学亭、常識門、髑ど くろあん髏庵、鬼き しんくつ神窟、無尽蔵など奇妙奇天烈な名称の古建築物群があり、これらすべて中野区有形文化財に指定されている。

渋谷の文化を45年間先導してきた代官山ヒルサイドテラス

緑豊かで、桜の名所であり、野球場やテニスコートも併設され、市民の憩いの場にもなっている。この哲学堂公園には、新宿区との境界となっている妙正寺川が流れており、公園の地下には妙正寺川第二調節池が整備されている。この調節池は平成7年(1995)6月に完成し、河川増水時には最大10万m3の水を貯留 できる。市民の憩いの場・哲学堂公園は、洪水を防止する市民の安全の場でもあるのだ。

哲学堂公園を散歩し、渋谷区に移動するため西武新宿線新井薬師駅に行き、今度は東急東横線代官山へ。渋谷区の東京遺産で紹介したいのは、旧朝倉家住宅で ある。しゃれた若者文化の街・代官山、そのランドマークとも言うべき旧山手通り沿いのヒルサイドテラスの裏手にひっそりと佇むのが旧朝倉家住宅。東京府議会議長も務めた朝倉虎治郎が大正8年(1919)に建てた、大正期の和風木造住宅で、関東大震災にも焼けずに残った、東京都心部に残る貴重な建築。現代的なヒルサイドテラスと対照的な古典建築であるが、ヒル サイドテラスの用地も元々は朝倉家のものであったという。宅地北側に木造2階建ての主屋、西に土蔵、東旧朝倉家住宅は、槇、元倉の両建築家による保存要望運動を経て、重文に指定され現存している館6 東建月報 2012.10に車庫が配置され、主屋と一体となった庭園は、崖線を取り入れた回遊式のもの。

古えを宿したまま、代官山

猿楽町の名の起源となった猿楽塚

旧朝倉家住宅は、戦後、?中央馬事会に売却され、さらに経済企画庁渋谷会議所としても使われてきたが、ヒルサイドテラスの設計者である槇文彦氏、元倉 眞琴氏らの保存要望運動により、平成16年(2004)に国の重要文化財に指定された。

ところでヒルサイドテラスは昭和44年(1969)にA・B棟が竣工して以来、平成10年(1998)までかけて整備されてきた。集合住宅、店舗、オフィスなどの建築群から成る複合施設で、まちづくりの新たなあり方を提示した。そのヒルサイドテラス内に隠れるような小さな鳥居があり、その内部の築山が6〜7世紀の古墳時代末期の円墳である。2基ある円墳のうち、高さ5mほどの大きいほうは猿楽塚と呼ばれ、猿楽町の名前はこの塚に由来する。2基の古墳の間を初期の鎌倉道が通っていて、目黒川に下っていたという。

渋谷区では、ターミナル渋谷駅の大改築事業を中心に、新しい再開発事業が次々と動き出している。東京急行電鉄(株)・東日本旅客鉄道梶E東京地下鉄(株)は渋谷駅街区開発事業(3 棟、総延べ26万m2)の環境影響評価手続きに着手し、着工に備えている。ほかにも渋谷駅桜丘口地区再開発(同1.6ha)、道玄坂一丁目駅前地区再開発(同1.9ha)などの大プロジェクトが目白 押し。今後10年間にわたって再開発が見込まれ、一帯のまちづくりは大きく進展していく。