第4支部エリアは、新宿区、文京区、台東区の3区であり、都心部を西から東へ横断する地域である。それぞれ巨大ターミナルの新宿駅、 野球やイベントの殿堂・東京ドーム、東北・上越・長野新幹線が発着する上野駅など賑わいの場を持ち、新宿御苑、小石川後楽園、上野公園 と緑豊かな地域でもある。早稲田大学、東京大学、東京藝術大学と日本を代表する教育施設にも恵まれている。それぞれ歴史に彩られ、魅力と見 所の多い3区の「東京遺産」を訪ねてみた。
新宿区内藤町には、玉川上水に関連し、「玉川上水水番所跡」「水道碑記」すいどうのいしぶみのき「四谷大木戸跡碑」と3つの 史跡が一緒にある。丸ノ内線新宿御苑駅と四谷三丁目駅のほぼ中間、新宿通り四谷四丁目交差点の近く、ビル群に囲まれてひっそりと玉川上水の歴史を伝えてい る。人通りも多く、注意しないと見落とす。玉川上水は多摩川の羽村堰で取水し、武蔵野台地を通り四谷大木戸まで約43kmの開渠で送られ、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋の水道管を埋設して通水されていた。四谷大木戸は、玉川上水の結節点だったのである。水番所には、水番人が一人いて、水門を調節しながら水量の管理をし、ゴミの除去もしていたという。
玉川上水は承応2年(1653)、江戸幕府から上水開削工事を請け負った玉川兄弟が同年4月に着工、11月には四谷大木戸まで本線開通したといわれる。水道 碑記は、その玉川上水開削の由来を漢文で記した記念碑で高さ4.6m、幅2.3mの巨大な石碑。明治28年(1895)に建立された。隣の四谷大木戸跡碑は、昭和 34年(1959)11月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水石樋を利用した記念碑である。インフラの建設工事は、埋もれた歴史を発掘する機会でもある。
四谷四丁目交差点から新宿御苑沿いに南下しJR千駄ヶ谷駅を通り抜けると、緑豊かな明治神宮外苑に出る。2020年東京オリンピック・パラリンピックのメ イン会場として1000億円規模の大改築計画が浮上している国立競技場に隣接して、聖徳記念絵画館がある。この一帯を歩くと、いかに都心が緑豊かなのかが よくわかる。東京のまちづくりの素晴らしさと奥行きの深さを実感する。2020年東京オリンピック・パラリンピックが実現すれば、この一帯の、空間的な素晴 らしさを世界へ発信できるであろう。
重要文化財の聖徳記念絵画館は、明治天皇崩御後に建築計画が浮上、大正8年(1919)3月着工、大正15年10月に竣工した。設計は公開コンペで行われ、大蔵省臨時建築部技手の小林正まさつぐ紹の案が一等となった。その原案を元に、佐野利としかた器指導により、明治神宮造営局の小林政まさいち一・高橋貞て いたろう太郎により実施設計が行われた。中央に径15mのドームを戴き、左右対称の重厚な建築。花崗岩貼りのファサード、鉄筋コンクリート造の2階建てで、当時の最新技術も駆使して作られた。訪れた時には、この名建築の一部補修工事が行われていた。建築内部も圧巻で、明治天皇に関連した日本画40点、洋画40点が左右に分かれて展示されている。
絵画館の前の通りは、土木学会の選奨土木遺産に指定されている。ワービット(ワーレナイト・ビチュリシックの略)工法を採用した、わが国最古級(大正15年)の車道用アスファルト舗装なのだ。
聖徳記念絵画館を後にして、JR信濃町駅から中央・総武線で水道橋駅まで。水道橋駅近く、東京ドームの真向かいに本社ビルがある(株)小野組を訪れた。同 社の小野敬語社長は、今年5月に第4支部長に就任している。
旅館朝陽館 |
「支部の活動は、災害復旧時に何ができるかをシミュレーションして検討していきたい。建設業のイメージアップのため、対外的な働きかけも考えていかなけ れば」と意欲を見せている。同支部では、第6支部と合同で、学生や会員を対象に「和の建築と茶道講座」も開催している。業界の課題としては「競争が厳しく、 疲弊して、そろそろ限界に来ている。それに予定価格が低くなり過ぎる。くじ引きとなっても、もう少し高いレベルでなら耐えられるが、低くて運任せでは疲弊 する」と指摘する。
小野支部長が推薦する地元・文京区の景観について、一つは、自宅を兼ねた本社ビル近くの小石川後楽園。桜の季節には社員の慰労を兼ねて、園内の茶屋で観桜会を開いている。何よりも、ご自身が毎朝、後楽園周囲2kmを20分前後かけて散歩している。「信号なしのコースで、その日の体調が計れる」とも。もう一つの場所は、本郷一丁目の旅館朝陽館。「ここは新潟から修学旅行で泊まった場所。文京区には、こうした昔ながらの古風な旅館が結構あり、木造の、いい佇まいを見せている」と語る。
国の特別史跡・特別名勝である都立・小石川後楽園は、寛永6年(1629)に水戸藩初代藩主徳川頼房が築いた庭園を、2代目光圀(水戸黄門)が改修して完 成させた7万m2以上の回遊式築山泉水庭である。朱塗りの通天橋など京都を模した縮景の庭、梅林、稲田、徳大寺石と蓬莱島を配した琵琶湖似の大泉水と見て廻 るだけで1時間。都心の、江戸文化を楽しめるオアシスである。その園内の片隅にある小さな古建築が「得仁堂」だ。光圀が18歳で史記「伯は くい 夷・叔しゅくせい齊」を読み、感銘し、その像を安置するために得仁堂を創設したという。
後楽園近くでは、組合施行による春日・後楽園駅前地区再開発が動き始めている。小石川一丁目地内の約2.4haに住宅、オフィス、店舗など延べ18万m2の複合施設を整備する。完成は平成30年(2018)7月だ。さらに文京区では「後楽二丁目地区まちづくり指針」をまとめ、5地区に分けて新たな再開発を支援してい る。
文京区ではもう一つ、東京大学本郷キャンパスが名建築群の宝庫である。安田講堂、法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館い ずれも、内田祥よしかず三設計の内田ゴシックと呼ばれる作品群で、東京都の登録有形文化財。このうち安田講堂は、正式名称は東京大学大講堂といい、大正10年(1921)に起工し、大正14年に完成した。関東大震災にも、東京大空襲にも耐えて、東大紛争では籠城学生のバリケードにもなった安田講堂だが、改修計画が動き出 し、来年度に工事が発注される。東大では、新たな施設建設が進み、安田講堂裏でもタワークレーンが稼働している。総合研究棟(工学部新3号館)新築工事で ある。またBTO(建設・譲渡・運営)方式によるPFI「東京大学クリニカルリサーチセンター施設整備事業」もこの8月に落札者が決定した。
台東区は23区中最も面積が狭く、約10km2。江戸時代は元禄文化が息づき、東京で最も古い市街地の一つ である。金龍山浅草寺は、都内最古の寺で、建立1400年の歴史を誇る。雷門、仲見世、本堂、五重塔、重要文化財の二天門など見所満載。東京観光の上位に ランクされる人気スポットである。訪れたこの日も観光客が仲見世の往来を埋め尽くしていた。
浅草寺の数多くの名所旧跡にあって、浅草六角堂は都区内最古の木造建築物。説明板には元和4年(1618)の建立とされ、単層六角造りで瓦葺き屋根が風格を漂 わせ、東京都の有形文化財である。
浅草では、六区地区の浅草東宝会館と楽天地浅草ボウルの跡地での再開発事業が動き始めた。各地の名産品店舗、イベントスペース、ホテルなどの複合建物が 2014年末にオープンする。観光スポット浅草も、新しい時代のニーズに応える再開発計画はこれから動き出す。
観光客で賑わう浅草から地下鉄銀座線で上野駅まで。そういえば、日本初の地下鉄として浅草〜上野間の2.6qが開業したのが昭和2年(1927)12月30日。運賃10銭で、開業初日には10万人の乗客が押し寄せたという。上野駅から上野恩賜公園へ。約53万m2の広大な公園には、世界遺産登録を目指す国立西洋美術 館、東京国立博物館など文化施設が集中し、寛永寺・上野公園周辺は「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれている。
上野公園内の東京藝術大学上野キャンパス(音楽学部)の赤レンガ1号館は、明治13年(1880)に建設された都内最古のレンガ建築物である。2階建ての、 おとぎ話に出てきそうな可愛い建物である。その奥の2号館は、明治19年に旧東京図書館書籍閲覧所の書庫として建てられ、どっしりとした構え。洋小屋形式 の木造屋根を持ち、同大で教鞭を取った小島憲之の設計である。
台東区で最後に訪れたのは、隅田川に架かる白鬚橋。西岸が台東区橋場2丁目に架かり、東岸は墨田区堤通に。現在の橋は昭和3年(1928)7月に着工し、 昭和6年8月に完成したもので下路式ブレースドリブタイドアーチ橋だ。「帝都の北門」と呼ばれるアーチデザインは、永井荷風をして「其形永代橋に似たる鉄 橋なり」と書かしめている。この橋を渡りながら、台東区にお別れです。