当協会は平成25年4月1日から、一般社団法人に移行したが、これを機に支部の発災時における対応体制を整備するため東京都の建設事務所の所管区域に合わせて再編した。これは、災害時の協議を円滑に行うことをねらいとしたもの。本誌では、「地域の防災・減災」と題し、各建設事務所の取り組みを紹介する。第4回は、第五建設事務所と江東治水事務所。当協会第5支部長の布戸哲太氏(東起業㈱代表取締役会長)をインタビュアーに、藤田雅人第五建設事務所長、新谷景一江東治水事務所長に聞いた。
――所管区域の特色や特性、防災の歴史、エピソードをお聞かせください。
所管区域は、東京都の東部に位置する墨田、江東、葛飾、江戸川の4区で、総面積は138km2、人口は183万人です。この地域は江戸時代、海あるいは湿地帯が広がっていて、もともと地盤の低かったことが特徴です。ですから昔から水害に悩まされていた地域でした。
さらに明治時代以降、工場が集積され地下水をくみ上げた結果、地盤沈下してしまいました。もともと地盤が低いうえに、地盤沈下した地域は、かつてゼロメートル地帯とか江東デルタ地帯とも呼ばれていました。
所管区域のほとんどが海抜ゼロメートル以下で、干潮時でも海面より低い地域もあります。堤防がなければ恒常的に海の中、という地域が存在するということです。
また所管区域は、従来から水害に悩まされてきたほか、工場や住宅、店舗が無秩序に整備されてきたため、木造住宅密集地域いわゆる木密地域が多く存在しています。実際、関東大震災では5万3000人が亡くなっていますが、当時の東京市内の死者の9割が、私たちの所管する区域で亡くなっています。歴史的にこの地域は、災害の被害を受けてきたと言えます。
水害対策、木密不燃化対策をさらに
――防災に対する取り組みをお聞かせください。
これまでの歴史からいうと、水害の都度、堤防を高くしてきた堤防強化事業があります。もう一つは、木密地区への対応として、昭和44年(1969)に東京都が江東再開発構想を作成しました。全部の地区を強化するのは難しいため、6カ所を防災拠点として整備するものです。所管区域では、白髭地区の西地区・東地区のほか、亀戸・大島・小松川でも再開発をしています。そのほか堤防の強化も行っています。
いま行っている事業で規模の大きいものには、3.11(東日本大震災)を受けての水門・排水機場の強化事業があります。もう一つは、木密対策としての不燃化事業であり、所管区域内でも4路線が特定整備路線として指定されています。これは道路を拡幅すると同時に、区や住民と連携して沿道建築物の耐震化も一体として整備していくものです。すでに事業化されているところもあるし、これから着手するところもあります。この4路線の整備は、待ったなしで進めていかなければなりません。
――インフラ整備の重要性が高まるなかで、パートナーである建設企業へ期待するものは。
インフラの重要性では、私たちが重視する整備として特定整備路線のほか、電線共同溝もあります。共同溝はかつては、主に景観の視点から取り組まれましたが、現在では大規模災害時に電柱の倒壊で道路が通行できなくなる事態への対策として必要性が認識されています。また、第五建設事務所は建設局で唯一、「橋りょう建設課」を持っています。都全体で401橋が橋梁の耐震補強の対象になっていますが、そのうち75橋は第五建設事務所の管轄です。すでにそのうち61橋については耐震補強を済ませていますが、まだ14橋が残っています。今年度は9橋を耐震補強する予定ですが、残りも計画的に対応したいと思います。
施工を通じて地域の防災力向上を
東京都で決めていますが、実際には建設企業の協力がなければこれを造ることが出来ません。建設企業にとって、工期が厳しかったり、住民対応など、条件は苦しいかもしれませんが、これからも単に工事を受注するだけではなく、施工が地域の防災力を高める仕事であり、その仕事を通じて積極的に地域に携わってほしいと思います。
――災害時の災害協定については。
災害が発生した時、家屋や電柱の倒壊などで道路に障害物が発生すると、初動対応は私たち行政だけでは出来ません。そのため管内では75社と障害物除去を目的とした災害協定を締結しています。災害は突然発生するし、発生した場合、時間との勝負になります。しかし、ガレキ除去のための資機材を保有し、除去作業に手慣れている企業は数が限られています。ですから地元の建設企業の方々が、災害発災時にすぐに対応してもらうことをお願いしたい。また災害対応の訓練を行うことが難しいのも事実ですが、今後は平素から訓練をして作業・連絡できるように、地元企業とコミュニケーションを取っていくことが大事だと思っています。
――コミュニケーションの必要性は認識しています。ただ災害は江東区だけでなく隣接区の墨田区でも同時に発生します。所管外の隣接区との連携も大事だと思います。
その指摘は大変重要です。例えば道路は、いくつもの区を通っています。私たちは所管内の建設企業は知っています。しかし建設企業も同一区域内の同業者のことは分かっても、隣接区域の企業情報は余り把握していないと思います。だから道路路線図ごとに災害協定に基づいて災害対応を行う企業がどのように張り付けられているかという企業情報について、建設企業に事前に情報提供をするというのもアイデアの一つかもしれません。
耐震補強を行った「丸八橋」 | 環状7号線に整備された自転車道 |
災害時の組織的対応に期待
――東京建設業協会に対する期待としては、何がありますか。
東京建設業協会が建設事務所に合わせて支部を再編していただいたことで、いざという時に対応してもらいやすくなったと思います。管内の災害対応のための協定企業には、東建会員ではない企業が含まれていると思いますが、災害対応時に組織的な対応ができるということは、私たちにとって心強い存在であることは事実です。例えば、1社ごとに10の協定締結をするよりは、10社がまとまって一つの組織として対応してもらうほうがはるかに機動力もあるし迅速性もあると思います。その意味でも期待しています。
――所管区域内でいま行っている注目事業としては何がありますか。
一番大きなものとしては、環状2号線の整備です。これはもともと外堀通りと呼ばれているもので、都心と臨海部を結ぶ路線の一つです。私たちは、隅田川橋りょう(仮称)と豊洲大橋の2つの橋梁を担当しています。これは私たちが持っている橋りょう建設課のノウハウを活用するものです。豊洲大橋については歩道整備等一部だけが残っています。隅田川橋りょうは橋台4基の下部工事を行っていますが、来年度には桁を架けたいと思います。この2つの橋梁整備は環状2号線全体整備に遅れることなく進めたいと思います。隅田川橋りょうが出来ると、隅田川に架かる橋のなかで、海から見て最初の橋梁になります。
環状第2号線隅田川橋りょうは、臨海部と都心部のアクセス向上だけでなく、災害時 における避難ルートの拡充による地域の防災性向上も期待される。 |
また道路整備では、自転車道の整備も進めています。これは道路の機能純化として、自動車、歩行者含めた快適な環境をつくるものです。さらに管内に東京スカイツリーという新たな観光資源が生まれたこともあり、管内80カ所に観光案内板も設置しました。道路を歩いている人が、どこにどんな名所があるのか、分かるようにすることが目的です。
河川事業では中川の整備があります。川側と陸地側の2つがありますが、陸地側の護岸は老朽化が進んでおり、ブロック張り替えのほか植栽もしました。これは防災の観点ですが、一方、川側は緑化です。つまり防災と緑化の両面で整備するものです。
防災・減災への対応では、事務所としては不燃化事業が、管内という意味では江東治水事務所が行っている護岸の耐震化ということが大きな柱と言えます。
――事務所の特色や特性についてお聞かせください。
当事務所は昭和13年(1938)の豪雨で、浸水戸数6万戸を超える大被害を受けたことを契機に、中川放水路開削などの中川改修事業を行うために、東京府中川改修事務所として、昭和14年(1939)4月に発足しました。
太平洋戦争で、開削工事が一時中断しましたが、昭和22年(1947)のカスリーン台風で中川右岸堤防などが決壊し、葛飾区全域が浸水する大きな被害を受けました。そのため中川下流改修と新放水路(現在の新中川)開削事業が緊急に計画され、昭和24年(1949)11月に事業実施とともに事務所も再開されました。そして昭和33年(1958)に、中川改修事務所は、中川改修に加え恒久的高潮対策工事に関する事務も担当することになり、名称を東京都江東治水事務所に変更し現在に至っています。今年は現在の名称になって55年の節目でもあります。
都民守った水門管理
新中川(中川の新放水路)も開削完了からちょうど50年目を迎えています。治水はいかに被害を起こさないか、事前対策に主眼を置いていることが特徴です。近年大きな被害が発生していないことは、これまで私たちが取り組んできた成果の一つとも考えています。
当事務所が所管する地域は、JR京浜東北線の東側に位置し東部低地帯と呼ばれています。満潮面以下の面積は東京23区部の2割、高潮の脅威にさらされている区域を含めると、4割を占める地域に300万人の方々が住んでいます。
私たちの行う治水事業は、都民の生命・財産を守る大きな仕事だと思っています。
――具体的な事業としては何がありますか。
昭和34年の伊勢湾台風級の高潮を目標に、隅田川、中川、旧江戸川などで進めてきた高潮対策は概成し、現在は防潮堤や護岸の耐震対策を進めています。また、江東内部河川でも、地震水害を防ぐため護岸の耐震補強を行っています。さらに、水門、排水機場などは整備するだけでなく、高潮や地震の発生に備えて日々適切に維持し、運転管理することも重要な業務です。
小名木川では、江戸情緒の感じられる水辺景観を生み 出す小名木川石積み風親水護岸を整備中。 |
北十間川では、古いコンクリート護岸を修景して水辺に 近づける親しみやすい川づくりが進められている。 |
防災エピソードでは、水門管理センターが江東区清澄に平成23年(2011)3月に完成し、同年4月からの運用開始により、同センターを基地として24時間365日各水門を集中遠隔監視・操作する新たな管理体制がスタートしています。高潮だけでなく津波や異常潮位、大雨による河川の増水についても監視しています。東日本大震災発災時は、同センターの運用開始前でしたが、木下川排水機場内に設けたバックアップセンターを活用して12の水門の閉鎖を30分以内に完了したことで、その後に来た津波に対し浸水被害を発生させず、東部低地帯を守りました。
高潮対策事業、江東内部河川事業のほか、スーパー堤防事業もあり、着実に整備をしています。また日頃、どのようにして水辺に親しんでもらえるかを考えるのも大きな仕事です。隅田川の水辺空間の魅力向上としての隅田川テラスの連続化や、かつて小名木川で江戸城まで塩を運んだことにちなんだ「塩の道」の整備です。さらに、係留船の適正化を中川、新中川などで行っています。
当事務所は、河川事業を中心とした事務所のため、非常に目的が明確で、全職員が東部低地帯を守るという高い意識を持っています。
――注目の事業としては何がありますか。
これまでの取り組みのさらなる発展という形になると思いますが、昨年策定された東部低地帯の河川施設整備計画を着実に実施することです。この計画は最大級の地震が発生した場合においても各施設が機能を保持し、津波などによる浸水を防止する目的で、水門、排水機場及び防潮堤の耐震補強を平成31年度までに完成させるものです。このとき、安全とともに安心をどう確保していくかが大事です。その意味で、この計画に着実に対応することが安心につながると思っています。
啓開を担い、管内を守る建設企業
――東京建設業協会含め建設企業に対してどのような期待がありますか。
当事務所の業務分野の特徴から、建設企業との関係は、各建設事務所と違うかも知れません。ただ私たち行政と建設企業の関係が車の両輪であることは間違いありません。
治水事務所として、災害発生時に河川を守る私たちは、真っ先に現場に行かなくてはなりません。その時、建設企業の皆さんに道路を啓開してもらわないと、私たちも現場に行けず、資機材搬入も出来ません。各建設事務所に合わせて支部を再編し、管内を守ってもらうことが、私たちにとって大事でもあり、治水事務所として大きな期待を持っている一つです。
――私たちにとっての悩みは道路啓開に必要な資機材を十分に持てないことです。
資機材を持つ用地確保も必要ですし、単独で用地確保は難しいでしょうね。それでも東日本大震災を契機に、今後の大規模災害発生時にどう対応するかという具体的な議論をして詰めていく必要性は感じています。
行政としては東京建設業協会の支部再編に伴う、機動性に対する期待があります。そのなかで、具体的に良い関係をどうつくっていくかということが、今後、より大切だと思います。
改めて強調したいのは、災害発生時に河川を守るための私たちの業務には、道路啓開が不可欠であり、それを担っていただく東京建設業協会の皆さんに対しての期待でもあります。もう一つは災害時の情報共有の必要性です。例えば、皆さんが道路啓開中に河川で問題を見つけた時に、私たちに情報を提供していただけるような仕組みも必要ではないかと思います。
――観光という視点で事務所の取り組みはありますか。
例えば「塩の道」の整備では歴史を感じさせるような護岸修景の工夫をしています。また扇橋閘門は、閘門を挟んで東側と西側で水位差がある小名木川で水位を調節して船を通過させる施設で、都内でも特徴的な施設と言えます。
私たちはこれらを通じて、観光の下支えをしていると自負しています。
東部低地帯の河川施設整備計画を着実に
治水の一層の安全確保が都民の切実な願いだと思っています。ですから治水事務所は名前通り、これからも力点を置いて取り組みたいと思います。特に東部低地帯の河川施設整備計画については、加速的に着実に整備していくことが役割だと思っています。それと同時に24時間の水門管理によって都民の生命・財産を守って参ります。
隅田川宮城地区のスーパー堤防は隅田川と荒川を見渡 す豊かな景観から、訪れる人も多い。 |
扇橋閘門をはさんで東西の水位を調節して、船を通過 させている。 |