伏見櫓(ふしみやぐら)
皇居二重橋の写真というと、必ず登場するのが背景の伏見櫓。三代将軍家光の頃に、京都の伏見城から移されたという伝えのある由緒ある櫓です。
表2
区分
面積比率
内容
説明
現在(特別史跡)
本丸・天守閣
10.6%

将軍が邸宅と幕府の政庁を兼ねる御殿。本丸と二の丸は文久3年(1863)の火災で焼失してから再建されず、旧本丸北側に慶長12年(1607年)外観5層内部6階日本最大の天守閣が建てられ、以後2回建てかえられたが、明暦の大火の際に類焼し以後は再建されなかった。

表(諸大名・外国使節などの謁見をおこなう大広間と格式の高い白書院・黒書院、老中・若年寄らが政務をおこなう御用部屋、諸役人や右筆が詰めて政務をとる諸座敷や有名な松の廊下があった) 東側の二の丸・三の丸跡とともに皇居東御苑として昭和43年に開園。本丸跡には天守閣(台)跡の土台が残る。この土台は明暦の大火で天守閣が焼失したのち加賀前田藩により築き直されたもの。天守閣跡の東に桃華楽堂(昭和41年完成)が建つ
中奥(将軍が一日の大半を過ごす官邸)。御鈴廊下で大奥に通じ将軍だけが出入りできた 現在、広い緑の空間がひろがる
大奥(将軍の夫人・子女・奥女中が起居する場所で将軍の私邸) 広い緑と空間がひろがりガイドポストによりこの辺りが「大奥」とわかる
二の丸
6.7%
本丸付属の施設   東皇居東御苑二の丸跡には回遊式庭園(原設計は小堀遠州)が復元され、二の丸雑木林・都道府県の木・諏訪の茶屋がある
三の丸
7.2%
本丸付属の施設、小規模ながら本丸とほぼ同じ構造を持つ(のちに建物は破棄された)   三の丸は二の丸の東側に位置し、大手門(渡櫓門は再建)、百人番所、平川門、桔梗門など江戸城の遺構がよく残る場所。美術品を収納する三の丸尚蔵館(平成5年開館)、皇居警察本部がある
西の丸(山里・紅葉山を含む)
18.3%
大御所(前将軍)あるいは将軍世子(次の将軍)の起居する場所(本丸よりやや小規模だが表・中奥・大奥を持つ)明治維新を迎えて皇居をして使用されたが6年(1873)炎上した 幕末には焼失した本丸御殿の代わりに将軍がここに起居した 諸行事をおこなう宮殿(昭和43年完成)と宮内庁がある
吹上
38.3%
ご三家・親藩・諸代大名の邸宅があったが明暦の大火ののちは13万坪の庭園となる   天皇皇后両陛下・紀宮殿下の御住居である御所。香淳皇后の御住居として使われた吹上大宮御所がある
北の丸
18.9%

初期には武家屋敷・米蔵がありのちご三家の田安・清水家の邸宅となる

  北の丸公園となり日本武道館・科学技術館などがあり訪れる人は多い
櫓(やぐら)
 
19棟を建造   現在は本丸で現存する唯一の富士見櫓と伏見櫓・桜田巽櫓の3棟が残る

濠(ほり)

 
内濠と外濠   皇居内部に天神濠、白鳥濠、蓮池濠、道灌濠が、外周に二重橋濠、桜田濠、半蔵濠、段濠、乾濠、平川濠、大手濠、桔梗濠、蛤濠がある
多聞(たもん)
 
本丸に15棟あった 武器庫で長屋造りの櫓の一種 富士見多聞が唯一現存している
 
大門6、城中諸門60、内外曲輪門26、総計96門があった   外桜田門。清水門、田安門が重要文化財として現存している
参考文献:宮内庁ホームページ、「皇居東御苑セルフガイドブック」、「江戸東京学事典」、「千代田区史」、「国史大辞典」ほか
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