青 春
青春とは人生の或る時期を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意志、優れた創造力、炎もゆる情熱、怯きょうだ懦を却しりぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
ジョン・ルイス氏よりマッカーサー元帥に贈られた、アラバマ州バーミンガムの故サミュエル・ウルマンの詩を基に
建設業界は今、非常に忙しい。東日本大震災の復興、土石流や豪雨など自然災害への対応、トンネル・橋梁・道路などのリニューアル、これから本格化する東京オリンピック・パラリンピックの関連施設建設、今後予想される首都直下地震など災害への備え、安全・安心な都市づくり。日本の国土を維持していくために、建設業は非常に重大に役割を担っています。2020年東京五輪までは忙しいだろうが、それが終わってしまうと仕事がなくなるという声も聞こえます。
しかし、私はそう考えません。災害の多い日本で、国民が安心して生活するため、やらなければならない仕事がまだまだあります。建設業の仕事は、作業服を着て、暑い時も寒い時も夜を徹してする厳しさがあります。だが、それが形になり、完成した時には何物にも代え難い喜び、感動が味わえます。皆さんにも、ものづくりの仕事に携わる喜びをいっぱい味わっていただきたい。
私の好きな言葉を贈ります。全文の英文と和訳を配布しましたが、米国の詩人、サミュエル・ウルマンの詩です。「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言う」という出だしの詩であり、あとで読んで噛みしめてください。
「これでいいのか」土木の道、悩んだことも
私は1948年に横浜市鶴見区で3人兄弟の長男に生まれました。子供時代から弱虫で、情けない自分を克服する意味もあり、高校3年の時に土木へ進学する道を選びました。当時、本州と四国を吊り橋で結ぶ計画が動き始め、その計画が自分の中で夢となり、土木へ進む背中を押してくれました。
1971年4月、東急建設に入社し、現場に配属になりました。最初の現場では月2回しか休みがなく、通勤できるところにもかかわらず、所長方針で現場に寝泊まりすることになりました。入社して半年ぐらいから、これでいいのか、辞めようかと悩みました。いろいろ悩み、あと半年、桜が咲くまで頑張ってみようと考えました。入社2年目になると、そんな悩みもすっかり忘れ、仕事に夢中になっていました。3年目には、作業員が手摺りからの墜落で亡くなる事故に遭遇しました。今でも、私は安全に関してうるさく言いますが、それはこの時の体験から現場社員に同じ苦しみを味わわせたくないと思うからです。
入社2年目の頃(本人:右端) | 宮前架道橋(完成写真) |
5年目に東北新幹線の工事で栃木県大田原市の現場に配属になりました。配属になったその夜、所長が煙草を買ってきてくれと言います。ライトバンで駅前まで煙草を買いに行くと、若い女性が出てきました。煙草を吸わない私ですが、翌日から毎日のように買いに行きました。その店の女性が、私の家内です。東北本線宇都宮駅から下りで30分電車に乗ると、JR野崎駅ですが、その駅前で今でも85歳のお婆さん(義母)が店番をしている店があります。
7年目、29歳の時、宮前架道橋(日吉)の現場を任されました。東横線の下を通る道路が狭いので拡幅・付替する工事ですが、失敗続きで、そのひとつが生コンクリート車の横倒しです。掘削土が甘く、生コン車の停まっていた地盤が緩み崩れたのですが、たまたま周囲に作業員がいなかったので惨事には至りませんでした。生コン車もすぐ引き上げることができましたが、今でもぞっとすることがあります。経験知はあがったものの、高い授業料を払いました。
ふれあいの大切さを学び喜びを知る
あざみ野駅工事 |
入社9年目からは東急池上線の、13カ所の踏み切りを解消する地下化工事に携わったのですが、着工から完成まで10年かかりました。電車を走らせながら、仮設で線路を支え、その地下を掘削し、コンクリート構造物を構築する工事で、夜間作業の連続でした。近隣への夜間の振動・騒音も多く、昼は近隣を廻り、苦情を聞きました。この仕事で学んだのは、人と人のふれあいであり、人の話に耳を傾けることの大事さ、お互いの理解です。一番嬉しかったのは、完成して踏み切りがなくなり、渋滞や踏切事故が減り環境が良くなったと近隣の方々が言ってくれたことです。土木をやっていて良かったと心から思いました。
1990年から横浜市営地下鉄線と交差する田園都市線あざみ野駅の工事に所長として携わりました。普通なら4年半かかる工事を3年で完成させる超突貫工事です。これもあざみ野駅を仮受けし、杭で支えて地下を掘削し、地下からコンクリート構造物を構築する工事でした。掘削時は24時間2交替で進めました。
神奈川県労働局から表彰 |
休みが少なく、工事の繁忙が続くと事故が発生しやすいものですが、当社社員と協力会社が一丸となって安全活動に取り組み、一致団結して同じ目標に邁進し、無災害で完成させることができました。1993年3月18日に運転を開始し、翌年には神奈川県の労働局から無事故無災害の表彰を受けることができました。この現場で開催した見学会は、社内報にも掲載されたのですが、私も家族を呼び、自分の仕事を見てもらい、とても嬉しい想いをしたことを憶えています。この時もものづくりの仕事をしていて良かったと改めて思いました。
分からないままにせず、聞こう
皆さんは、入社して最初は分からないことが多いことでしょうが、分からないことはそのままにせず、上司や回りの方にどしどし聞くようにして、理解し、自分のものにしてほしい。そして、次の段階では、自分で考え、自分はこう考えると発言できるように努めてください。その時、上司に、どうしましょうか?と指示をあおぐのはいけません。間違ってもいいから自分の考えを進んで言いましょう。仮に間違っていれば、上司が直してくれるはずです。考え、言い、直してもらう、この繰り返しが皆さんを成長させます。
もう一つ、それは健康管理なくして、いい仕事はできないということです。社会人になったのを契機に健康と身体づくりに取り組んでください。私はジョギングとジムで汗を流し、マラソン大会にも出ています。社員を誘い、一緒に走り、その後、お酒を飲みながらコミュニケーションを交わしています。
皆さん、人生は長い、あせる必要はない。自分のペースで自分を磨き、立派な社会人になられることを祈っています。