高度成長期に建設された霞が関ビルディングは高さ147m、36階建ての日本初の超高層ビル。1968年の竣工から50周年となる2018年4月12日を記念して前日の11日には、霞が関ビルディングをキャンバスに、地球の自転の速度で映し出された幾何学模様が変化する「デジタル掛け軸」の点灯式など記念イベントも開かれた。
ビル全体を彩る「デジタル掛け軸」は、常に変化し、同じ風景を見ることがない一期一会の光アート |
4月11日夜、竣工50周年を迎えた霞が関ビルディング前の霞テラスで、「KASUMI NIGHT TERRACE」点灯式が開かれた。イベントを主催した三井不動産(株)の植田俊常務執行役員ビルディング本部長(左)と、女優の蒼井優さん、「デジタル掛け軸」を手がけたデジタルアーティストの長谷川章氏がスイッチを押して、5月31日まで続く記念イベントが幕を開けた。 |
それまでの建築規制だった高さ制限(31m)から、容積率規制への移行を柱にした建築基準法改正(1963年)が、高層ビル建設を可能にした。それ以前の耐震構造の多くは、鉄筋コンクリートで柱と壁を強くして地震の揺れに対抗する「剛構造」だったのに対し、霞が関ビルディングは関東大震災を耐えた上野・寛永寺の五重塔を参考に、地震の揺れを分散・吸収する「柔構造」を採用。この「柔構造」が日本の超高層ビル建設を可能にした。
このほか、霞が関ビル建設には、▷コンピューターを使った設計▷大型H形鋼▷セルフクライミング方式のタワークレーン▷プレハブ工法――といった技術・工法が導入されたほか、超高速エレベーターも納入された。
まさに日本の超高層ビル建設の先駆けとなった「霞が関ビルディング」は建設技術の発展にも大きな貢献をしたことになる。
超高層ビルの先駆けだけあって、話題も満載。例えば日本初の冠がつく話題も多い。
超高層ビル用の高速エレベーターをはじめ、建物内に郵便局などの公共施設が入りビル自体に街の機能を持たせる「複合用途」の概念が初めて取り入れられたほか、部外者でも敷地内に自由に入れる公開空地の考え方を導入した、日本初の広場を備えたビルとなった。このほか、1972年にはアメリカのアポロ11号の月面着陸を祝って〝祝アポロ〞のウィンドウアートが日本で初めて映し出された。
霞が関ビル建設を描いた映画「超高層のあけぼの」は1969年に公開され、同年度邦画興行ランキング2位を記録、文部省青少年映画賞を受賞した。
開業当初、誰からも見通せる場所で正々堂々と式を挙げたいと思った一組のカップルの想いが、当時の三井不動産(株)の社長を動かし、屋上で「最初で最後の結婚式」も行われた。
「霞が関ビル○杯分」。東京ドームが誕生する以前、約52万㎥の霞が関ビルは大きさ(容積)を比較する目やすとして使われてきた。