国の重要文化財に指定された旧岩淵水門(赤水門)と現在の岩淵水門(青水門) |
図の出典:荒川放水路変遷誌 荒川下流河川事務所 |
荒川 2大事業が日本の今を支える
社会資本(インフラ)整備は、整備投資による「直接効果(フロー効果)」だけでなく、生活の安全や安心の質を高めるとともに生産性を向上させるという「間接効果(ストック効果)」によって、都市・地域の発展と国の成長を支えてきた。その代表例の一つが「河川整備」だ。江戸時代、利根川と当時の荒川、2大河川の川の流れを60年かけて変えたことが結果的に、江戸を世界最大の都市へと成長させた。時代は下って明治期、度重なる「荒川氾濫による首都圏大災害」によって、当時の荒川の水を新たに整備する人工河川(放水路)に流すという、「荒川放水路」計画が動き出した。
明治43(1910)年の大洪水を契機に、東京の下町を水害から守る抜本策として、「荒川放水路事業」が明治44(1911) 年に着手。大正13(1924)年に荒川放水路通水式が行われた。土木技術者・青山士(あきら)指揮のもと完成した旧岩淵水門(赤水門)と現在稼働している岩淵水門(青水門)は100年間1度も決壊することなく、水害から首都圏を守っている。そして現在、気候変動による水災害への対応のため、流域全体で行う治水「流域治水」の取り組みが始まった。
岩淵水門周辺でイベント
荒川サミット&地域住民見学会
今年荒川放水路が通水100周年を迎えたことを受け10月12日、荒川と隅田川の流量を分岐・調節する岩淵水門(東京都北区)周辺で記念イベントが開かれた。イベントには地域住民など大きく人が集まり、普段は入ることの出来ない岩淵水門の操作室も見学した。
限定のイベントを楽しむ地域住民ら | 岩淵水門(青水門)の前で撮影 |
またイベント当日は、関東地方整備局荒川下流河川事務所の菊田友弥所長や沿川2市7区の首長らが「荒川放水路サミット」を開いた。サミット後、重要文化財に指定された旧岩淵水門(赤水門)に移動し、荒川の未来に向けて安全祈願をした。
都市 成長の源泉 |
江戸時代から明治以降までの東京を中心とした首都圏の成長を支えた代表的河川整備として、江戸時代の「利根川の東遷」「荒川の西遷」と明治・大正・昭和にかけて整備が進められた「荒川放水路」が挙げられます。徳川家康は、利根川の流れを東京湾から太平洋沿岸の銚子へ大きく変えた一方、荒川の流れも西側へ変えることで、江戸は人口100万人の世界最大の都市に発展。さらに度重なる大水害への対応として計画されたのが、当時荒川と呼ばれていた河川(現在の隅田川)の大半の流量を引き受ける形となった人工河川、荒川放水路の整備でした。荒川が隅田川と荒川放水路に分岐するのが、岩淵水門です。
岩淵水門(青水門) |