日本人でなく世界の視点で考える
―アスリートとして旅した世界各地の都市と比較して、東京のまちをどうご覧になりますか。
海外と比較して、日本ほどバリアフリーが充実している国はありません。病院、ショッピングセンター、公園、駅、寺院までバリアフリー化しています。段差にはスロープがあり、階段にはエレベーターがあり、身障者用トイレや視覚障害者用誘導ブロックはどこにでもある。その中でも特に東京は、細かいところにまで障害者や高齢者に配慮した施設が整備されています。ただその一方で、東京は他国と比較して一番暮らしに苦労し、一番冷たいと感じる街でもあります。
「ユニバーサル」という言葉には誰にでも自由に使えるものといった意味があると思いますが、都市計画という観点から考えると、ユニバーサルデザインの本当の価値は、バリアフリーと決してイコールではありません。
もちろん、設計する人、つくる人はバリアフリーをしっかりと考えている。しかし、運営する側や利用する側の心に問題がある。「バリアフリーは整備 した。あとは、私たちの手を煩わせずに利用してほしい」というのが日本のバリアフリーの考え方になってしまっている。お世話するのが嫌だから整備したような、血の通っていない「健常者の考えるバリアフリー」になっているようにも感じます。そのため、バリアフリーの取り組みが必ずしも実際の障害者にとって便利になってはいません。バリアフリーが充実しているからこそ、助けてもらうのにも気を使います。
2020年に東京五輪という大きなイベントを控えるなかで、今後日本では、確実に国際化の波が押し寄せるでしょう。そのとき、日本人が考えるユニバーサルデザインではなく、世界からの視点でユニバーサルデザインを再考する必要があると思います。
―東京五輪を契機として、東京にはどんな変化が必要でしょうか。
車いすは前輪が小さく、視覚障害者用誘導ブロックを越 えることが難しい。バリアフリー化を進める中で誘導ブ ロックを大量に配置した結果、車いす移動の障害が増え るという矛盾も生じる |
日本においては、パラリンピアンや障害者スポーツが認知されているとは言い難いのが実情です。ヨーロッパチャンピオンズシリーズであれば、競技 場が満員になることもあります。しかし日本では日本選手権すら観客が0人~3人という状況があります。関心の薄さは、ハンディキャップへの理解や関心と無縁ではないでしょう。この状況下でユニバーサルデザインやバリアフリーをいくら叫んでも空しいとも言えます。
だからこそ、東京五輪を起爆剤に都市を変えたいのならば、本当の意味でユニバーサルな状態に向けて動き出さなければならないでしょう。そのためのまちづくりに、今から真剣に取り組まなくてはいけないと思います。
段差があっても余裕ある街
―では、東京は2020年に向けてどんな街を目指すべきでしょう。
障害者や高齢者にとって一番素晴らしいのは、その地域が裕福であり、地域の人の心に余裕ができることです。段差がなくなることではありません。お金のない、人間関係のぎすぎすした街において地面だけ平らになっても、嬉しくも面白くもありません。それよりも、段差や石畳があっても、みんなの心が受け入れてくれる方が僕たちにとって嬉しいし、素敵な街だと感じます。本当のユニバーサルデザインとは、小さな段差があっても綺麗で魅力的な街であり、心の余裕をもって暮らしていける街では ないかと思います。
ヨーロッパでは、町の美観のために石畳や段差が多く、日本でいうバリアフリーの要素が全くありません。もちろん、車いすの人にとっては多くの不便もありますが、その街が沢山の人を楽しませる魅力的な街であれば、そこに暮らす人々に、困っている人間を助けようとする血の通った人間味が生まれます。ごく自然に障害者が手助けしてもらえる環境があり、石畳や段差で困った経験は一度もありませんでした。言葉の壁を感じることすらありません。僕は、東京はそのような方向を推進してほしい。
もちろん、相手のことを慮おもんばかる「ゆかしき日本」の文化も魅力的ですが、それを守っているために、他者を排除する心の鎖国が生まれてはいないでしょうか。心が鎖国しているのに「ユニバーサル」な状態をつくることはできません。それに、2020年には否が応にも世界の目と心がやってきます。東京は人間の意識を文化レベルで変えていくべきですし、そのためのまちづくりを考えるべきだと思います。
―真の意味で、東京でユニバーサルデザインを進める必要があるということですか。
僕はユニバーサルデザインという言葉はあまり好きではありません。ひとつの建物がデザイン的に立派になったり、段差をなくしたり標識の表示を工夫することよりも、もう少し視野を広げた「シティ」という枠組みで考えなければ、本当のユニバーサルデザインができないからです。
考え方や価値観といった人の心は都市の影響を受けて変わっていきます。いま日本に必要なのは、住んでいるだけで、訪れるだけで人の考え方を変えるようなまちづくりです。「ユニバーサルデザイン」を進めるのではなく、「ユニバーサルシティ」の実現に取り組んでいく必要があります。
―ユニバーサルシティとしての東京とは、どのような街なのでしょう。
イメージとしては江戸時代の城下町が一番近いかもしれません。天守閣という街の象徴を中心に、商人によって活気ある街がつくられている状態です。そこには多くの人が集まり、人が集まれば情報が集まり、情報が集まればお金も集まってくる。お金が稼げるようになると、人々の心には余裕が生まれてきます。
前提となるのは住みやすいまちづくりなのは当然です。ただ、人を助ける優しさを持つためには、まず人間として強い心を持ち、余裕を生み出さなくてはなりません。ですから、困っている人が助けてもらえるようなユニバーサルシティを実現するためには、地域の人々が裕福で、心の余裕があることが不可欠になります。
都市計画という点で見れば、住む人や来る人を楽しませるエンターテインメント性を生み出すために、人を惹ひき付ける魅力を持つことが最も重要になります。
―お金もユニバーサルデザインを実現する方法なのですね。
お金という力を持つことで人は優しさを発揮する余裕が出てきます。日本は資本主義国家ですから、汚い言葉ですが、心の余裕はお金で買うしかないのが現実です。しかし、それで結果として心の優しい国ができれば良いと僕は思います。お金で買えるものならお金で買ってしまえ、と言いたい。お金は余裕を手に入れるための手段と考えるべきです。逆に、ただバリアフリーだけを考えるような一点集中型の考え方は危険だと思います。
どんなに障害者や高齢者のことを考えて整備したとしても、多くの場合そこを管理運営するのは健常者で、実際のニーズとは乖か いり離してしまいます。健常 者が考えるバリアフリーは決して障害者が考える便利さではありません。
ユニバーサルデザイン ひとコマ
心のバリアフリー
バリアフリーを目的にした施設整備(ハード)を行うだけではなく、高齢者や障害者などが安心して日常生活や社会生活を送れるために、高齢者たちの困難を自らの問題として認識して、積極的に社会参加に協力する、「心のバリアを取り除く」いわゆる「心のバリアフリー」の必要性も高まっている。
すでに「心のバリアフリー」浸透へ、国土交通省も出先機関を通じて、全国各都市で障害者や高齢者の日常生活の困難さを健常者が実際に感じるための「疑似体験」や「介助体験」、「バリアフリー化された施設体験」などを、『バリアフリー教室』として開いている。
同様の動きは、地域の学校や地方公共団体、NPO、ボランティア団体や障害者団体、福祉施設などが連携して「心のバリアフリー」浸透へ向けた取り組みも進められている。
だから、ユニバーサルシティとしての東京には、五輪を契機として物流、情報、人口が集まるよう>な魅力的なまちづくりをしてもらいたい。障害者にとって多少不便を感じることがあったとしても、大切なのは優しさを生む強さを持った街であるということです。
―まずは都市の魅力を高め、人を集める必要があるということでしょうか。
人が集まるようなエンターテインメント性のある都市とは、障害者や高齢者が集うまちでもあります。余裕のある都市になれば、そういった人たちへの手助けを義務や負担に感じることもありません。石畳の歩道を持つ個性的な都市で、障害者が不便を感じて誰かの手を借りる必要が出てきたとしても、相手の心に余裕があり開かれていれば、差別や気負いを感じることはないでしょう。東京がそんな都市になることこそが思いやりと人の温かさで出来上がったユニバーサルシティであり、障害者も高齢者 も夢を抱くことのできる都市になることだと思います。
僕は、ユニバーサルデザインとは、そんなユニバーサルシティのなかで初めて見えてくる優しさの形であって、都市から独立して存在するものではないと思います。
日本最高の"秘密基地"東京へ
―ポスト五輪を見据えて、東京にはどんな役割を期待しますか。
実際に東京五輪に関係するのは限られた選手と観客だけです。その会期中だけを考えるのはもったいないので、重要なのは当然、五輪の開かれる2カ月間が終わったあとになります。考えなければいけないのは、どうすれば心に余裕のある人たちを生み出せるかということと、東京五輪を日本に変化をもたらす起爆剤としてどう利用するかです。まずは国内外問わず来てもらった人たちに、どれだけ楽しい都市として受け止めてもらえるかを考えるべきでしょう。日本は人もモノも素晴らしい国ですから、「やっぱり東京はすごい場所だった」と思ってもらえるまちづくりを進めなくてはなりません。
それから、いま東京自体の魅力が薄れているように感じます。B級グルメを代表として、地方で流行っているものをそのまま東京で取り上げるだけで、東京から新しい情報をまったく発信していません。
僕は、東京には日本で最高の"秘密基地"になってほしいと願っています。そこで集まった人間が決めたことが、翌日から学校の流行になるように、トレンドを追うのではなく流行を生み出す情報発信の拠点になってもらいたい。そうすれば、きっと東京に人、情報、お金が集まってきます。東京がお金を稼げる都市になります。ロマンや夢が生まれてきます。その結果として、東京に余裕が生まれ、独自のスタイルとスタンスが生まれ、東京だけのプライドと優しさが育まれていくでしょう。
優しさとお金は表裏一体のものです。きれいごとを言っているだけではこの東京の荒んだ状況は変わりません。失われてしまった地域性、血の通った心 と心のつながりをいま一度取り戻すためにも、もういちど日本は本当に大切なものを見直すべきではないでしょうか。これまで忘れてきたものに、もう一度光を当て、後戻りする勇気も必要だと思います。
五輪が終わった時に、各地にどんな街が出来上がっているのかを見るのが本当に楽しみです。