東京はすでにユニバーサルデザインのまち
―ユニバーサルデザインに配慮したまちづくりに必要な視点は。
一般の人たちにユニバーサルデザインという考え方が定着してきていることは確かです。ですが個人的には、ユニバーサルデザインのまちづくりというコンセプトは、もう古いと感じています。
そもそもユニバーサルデザインの考え方が日本に入ってきたのは、1990年代前半です。このときは日本も企業もそれに取り組む余裕がありました。当時、まちづくりのハード整備としてユニバーサルデザインへの取り組みが進んだ背景に、高齢化問題が指摘され始めていたことがありました。
欧米でユニバーサルデザインというと、障害を持った方たちが焦点となっていたと思いますが、当時の日本では、まだ障害者への対応を自分達のこととして考えられませんでした。「なぜバリアフリーが必要なのか」といった疑問さえあったと思います。しかし日本は1990年代に高齢化問題が誰にとっても現実的になり、その問題を実感するようになりました。このリアリティーが契機となって1990年代以降、日本のまちを、高齢者にとって住みやすいまちに変えていこうという熱いムーブメントが起きたわけです。
当時の建設省や運輸省(現国土交通省)が法律(バリアフリー法)を作って、2000年前後から、鉄道の駅、地下鉄、ターミナル周辺などいたる所で、エレベーターやエスカレーターが設置され、車いす対応のトイレ等の整備が進みました。
ですから今では、世界の都市と比べても、東京都のバリアフリー度はかなり進んでいますし、日本国内の都市と比較しても東京は非常に進んでいます。つまり、1990年代前半から2000年代初めにかけ、かなりユニバーサルデザインに配慮した整備を進めているので、ユニバーサルデザインのまちづくりと言われても、個人的には「今更」という気持ちを抱かせられるのです。これが冒頭指摘した、ユニバーサルデザインのまちづくりというコンセプトは古いとした理由です。
五輪の開かれる2020年の東京の姿を考えるとき、これまで頑張ってきたユニバーサルデザインのまちづくりが花開くのだと思います。
―では今後の都市に必要な視点とは何でしょうか。
これからもう一段階レベルアップするときに何が必要か、それを真剣に考えるべきだと思います。具体的にはハード整備だけを考えるのではなく、ハードの上に乗るソフトの部分も必要です。インフラ(ハード)だけでは対応できないこともあるからです。今はそういう局面です。
―ソフト対応としては具体的にどのようなものがありますか。
一番分かりやすいものとして、外国語表記など情報の提示があります。例えばユニバーサルデザインの考え方にも含まれている、「万国共通、大人から子どもまで分かりやすい」サイン、いわゆるピクトグラム(絵文字)があります。しかし、すべての情報を絵文字で表せるわけではありません。日本は、観光立国を掲げていますが、その場合、東京が最大のメーンゲート(主要な入出口)になりますので、ピクトグラムだけでなく、英語表記はもちろん、中国語や韓国語の表記によって、情報を伝達するという対応を行う必要があります。
―多言語への対応には限界もあると思われますが。
ユニバーサルデザインのまちづくりという課題についても言えることですが、日本人は非常に真面目です。とかく日本人は自分たちが出来ないことや、やらなければならないことを、真剣に考えます。でも誤解を恐れずに言えば、私はもうそういう時代ではないと思います。1964年の東京五輪では確かに、あれもやろう、これもやろうと取り組みました。でも今は、出来ないことばかりに目を向けず、出来ることをしっかりやっていくという考え方が必要だと思います。
多言語についても、世界中の言語にどう対応するかを考えるのではなく、出来ないなら、ジェスチャーでも絵文字でもコミュニケーションは取れるということを考えればいいと思います。さらに多言語対応について、東京都や区など行政のトップダウンでするのではなく、住民が出来ることをやっていくボトムアップ型の方が良いのではないでしょうか。一人ひとりができることを行う、これが「おもてなし」ではないかと思います。はっきり言って、皆でこれをやろうとスローガンを立てるとか、目標を立てて一気に進めていくという手法は古い「20世紀型」です。
今、区内をきめ細かくミニバス(コミュニティーバス)が走っています。これも東京ならではのことだと思います。これを“ミニおもてなし”として、海外にアピールすることも考えられます。もともとミニバスには地域住民や高齢者の利便性向上といった側面があると思いますが、観光という視点で見直すと、ミニバスは外国人の目にアメージング(驚くほど見事)で魅力的と映るはずです。ミニバスはペインティングされているケースも多く、外国人には、かわいらしく、クールに見えるはずです。これは、20世紀型思考を持った人たちでは気づけないかもしれませんが、今の若い人たちの評価は違います。
実際、今の大学生たちは、自転車を使ったネットワーク化を研究するなど、発想が非常に多様化しています。まちづくりでも同じです。一つひとつは小さくても、それをどうやってネットワーク化するのか、これが新しいデザインです。
IT(情報技術)の世界でもホームページという情報発信が能動的な結節点になって、つながりが広がるという目に見えないネットワークを生み出しています。
リアルの世界でも同じです。ミニバスや自転車や地域の小さなお店でのおもてなしが結節点になってネットワークになります。私が都懇談会に呼ばれたのも、今までの発想ではないものが必要だと東京都が思われたからかもしれません。
―懇談会で指摘された規制緩和の問題とは何ですか。
ひとつは日本の建築に関する法律やバリアフリー法、条例のすべてが、新築ありきであるという点です。これまで建築物は、新築が前提という考えが根底にありました。新築なら、段差解消やスロープの義務づけなど厳しい要件があってもクリア出来ます。ですが、今や新築一辺倒の時代ではありません。
最も重要なのは、東京で一番多い世帯は独り暮らしという現実認識です。しかし住宅供給では、新築で3LDKという発想が根強くあります。それならば、と、既存の3LDKを複数の高齢者がシェアしたり、サロンにしようとすると、新築前提の法規が邪魔をするのです。建築基準法では、シェアハウスは福祉施設か寄宿舎の扱いになってしまいます。
都が、バリアフリー条例の制定時に、新築かつ旧来的な建物用途を前提に厳格な規制にしたことは、当時としては蓋然性があったとしても、今では、都民の46.5%が独り暮らしであることを踏まえれば、法律や条例もそれに合わせて柔軟に変えるべきです。
例えば、オフィスを住居にする場合、または住宅を高齢者向けのサロンにする場合に、現行の新築を対象にした法律やバリアフリー条例の規定は厳しすぎます。その点をぜひ規制緩和していただきたいと舛添知事に直訴しました。(笑)
新築一辺倒の制度を変えていく時
―規制のあり方で新たな提案はありますか。
具体的には、建築リノベーション法とか、建築リノベーション条例を新たに制定して、既存の建築物を使い続ける環境を整えることです。東京が変われば国も変わります。高齢化に合わせ、柔軟な法律・条例にすれば、もう一段階、日本と東京は面白くなると思います。例えば、古い木造家屋がおしゃれな飲食店になって人気を集めていますが、こうしたことを広げていくと、建築関係の仕事の領域も広がりますし、まちも変わると思います。
あらためて強調したいのは新築一辺倒から転換しようということです。確かにコンバージョンはムーブメントになっていますが、一部では法律に違反しないと実現しないという現実もあります。これはあきらかにおかしなことです。
これからの都市・まちづくりは、部分解だけをつなぎ合わせても、魅力的かつ使いやすいものにはなりません。空間や環境はトータルで構成されるものだからです。この障害になっているのが、法律であり条例であるなら、それを変えようというのが私の主張です。
もう少し詳しく説明すると、国のバリアフリー法は延べ面積2000㎡を超えるものが対象です。大型の公共的建築物はユニバーサルデザインに配慮して整備してほしいというのが目的です。ただ、この法律の仕組みは、より厳しい規定を自治体が条例で定めてもよいということになっている。そこで、真面目な東京都は、福祉施設については規模に関わらずすべてを規制の対象にしました。言葉は悪いですが、最も厳しいハードルを設けたことで、自らの首を絞めた形になってしまったとも言えます。
今、自治体の裁量は非常に大きくなっています。例えば公営住宅でも、過去には国のトップダウンで規制されましたが、現在ではかなりの部分が自治体の裁量に委ねられています。これは地域の行動力、発想力、つまり地域力が問われていることだと言えるでしょう。現場サイドから声を上げて、変えることも可能です。ある面で過去のトップダウン型からボトムアップ型に変わっています。こうした状況で、「お上が云々」と言っていても始まりません。
2014年訪日外国人旅行者数は1341万人
出典:日本政府観光局(JNTO) |
2020年東京五輪、その後の東京の持続発展を図るため、観光立国としてのさまざまな取り組みが行われている。政府は2020年の訪日外国人旅行者数2000万人を目標に掲げているが、2014年は予想を200万人程度上回り、1341万人に達した。国別では、中国、台湾、韓国の3カ国で半数以上を占めているが、11位のベトナムからも12万人が訪日しており、多言語化対応の必要性は急速に高まっている。
―建設業の役割についてどう考えますか。
東京建設業協会の会員企業は地元建設企業が多いと聞いています。それぞれの地域の地元建設企業の方たちは昔で言う、地域・地元の旦那衆です。大手ゼネコンと呼ばれる企業も、はるか昔は大工を束ねる棟梁だったはずです。棟梁とは建物を建てるばかりでなく、その地域の面倒を見て、地域をまとめていたはずです。その意味で、建設企業は地域のまとめ役であり、面倒を見る旦那衆だと思います。そうであるなら、平和な今こそ、地域の旦那衆が新たな時代に合ったまちづくりを含め、その底力を見せるべきです。そうすると、カタカナでユニバーサルデザインと言われているものも、見方や価値観が違ってくると思います。
―建設業界では人材確保・育成が大きな課題になっています。大学生の就職に対する意識は変わっていますか。
まず建築学科に対する大学生の人気が、この7,8年落ちていると感じています。その理由のひとつとして、新築一辺倒の建築に魅力を感じていないことがあるかも知れません。価値観は確実に多様になっています。例えば、入学した学生が興味を持って求めているのは、手触り感や手仕事です。社会に出るとそうしたことが出来ないから、学生時代にボランティアなど様々なチャレンジをする人が増えているのかもしれません。
ただ就職先の点では、メンテナンスや設備更新など確実にさまざまな市場が広がっているので、卒業者の就職先も、従来のように設計事務所やゼネコン、ハウスメーカーなどにとどまらず、多様化しているのは事実です。
学生がなぜ建設企業に就職しないかと言えば、学生の意識と価値観が多様化しているのに、旧態依然としている会社が多いからではないでしょうか。「来ないから変われないのか」、「変われないから来ないのか」という、ニワトリとタマゴの関係かもしれませんが、各企業は守るべきことと、変えるべきことをまず峻別するところから始めてはどうでしょうか。
多様性への対応は人材問題でも同じ
実はこの問題の解決こそが、ユニバーサルデザインなのです。ユニバーサルとは、普遍性のあるデザインを考えるということです。良く誤解されるのは、ユニバーサルデザインというと、段差をなくす等のバリアフリーと同義語にされがちですが、その真意は、「対応可能な幅の拡大」です。
例えば、1964年の東京五輪が開催された高度成長期、男性の平均寿命は70歳未満でした。ですから極端な話をすれば、当時はゼロ歳から70歳までの人を対象に政策や施設整備などを考えれば良かったわけです。しかし平均寿命が確実に伸びた現在、日本はゼロ歳から100歳以上の人までを想定して、さまざまなことに取り組まなければならない時代を迎えています。
当然、過去に整備された建築物などの空間が、当時であれば、全体の8割から9割の人を満足させたものであったとしても、現在では6割とか5割程度までしかカバー出来なくなっているということです。つまりユニバーサルデザインとは、つくったものの有効性やレンジ(使用できる範囲)を広げようということだと思います。
レンジを広げるために新しいハードとソフトが必要ということです。当然レンジを広げれば、より多様性が求められますから、大雑把とは真逆のよりきめ細かな対応が必要になります。規制緩和として、新たな建築リノベーション法・条例を提案するのも、建設業界の人材確保に苦言を呈したのも、多様性に伴うきめ細かな対応が必要という点で、ユニバーサルデザインのまちづくりと同じ構図だからです。