150年の積み重ね 高度成熟都市へ
150年という歴史の中で、東京という都市の明治期を語るうえでの大きなキーワードとしては、「官庁集中計画」、「銀座煉瓦街」、「市区改正計画」の3つが挙げられる。官庁集中計画が現在の霞が関官庁街につながり、銀座煉瓦街が不燃化の先駆けの役割を担い、市区改正計画が都市計画の源流であった。
明治以降から今日まで、経済と都市が成長を続けた東京の転換点として、「震災復興」、「戦災復興」、「都市計画法」の3つのポイントを挙げる識者は多い。大正12年(1923)の関東大震災からの震災復興は、土地区画整理によって町割りを近代都市・東京へと変更させた。この復興事業に携わった専門家がその後さまざまな形で都市計画に関与することになる。
この都市計画を進めるために必要だったのが、大正8年(1919)に公布された、「都市計画法」と「市街地建築物法(建築基準法の前身)」という2つの法律だった。つまり、震災と戦災という2つの復興で土地区画整理を通じて、戦後の首都・東京の骨格をつくりあげたと言える。
高度成長期を迎えた東京では、建築基準法改正に伴い昭和38年(1963)、31mの高さ制限が撤廃され、超高層ビル整備時代を迎えることになる。
各地で多様な地域の将来像と都市機能の充実・強化が図られる(2020年に向けた実行プランから)。 |
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五輪後も成長めざす
明治、大正、昭和、平成の時代にかけ、東京の河川、道路の整備は進んだ。整備されたインフラを賢く使うための維持・修繕、リニューアルへの対応は欠かせない(首都高速道路の修繕が行われている隅田川上)。 |
2020年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会を控える東京。五輪施設や関連工事の整備が終われば建設需要が落ち込むのではないかという"ポスト五輪"懸念は、相次ぐ都内拠点地域での再開発計画を受け払拭されつつある。日本が今、直面する「人口減少」、「高齢化」という2つの大きな課題は今後、東京が抱える課題でもある。
そのため東京都は平成29年(2017)、2040年代の目指すべき都市の姿とその実現へ向けた具体的方策を明記した「都市づくりのグランドデザイン」を公表した。グランドデザインは都市づくりの目標として「活力とゆとりのある高度成熟都市」を掲げた。環状7号線内側の「中枢広域拠点域」、その周辺を「新都市生活創造域」と「多摩広域拠点域」、「自然環境共生域」の4つの地域区分に再編し、それぞれの地域に役割を持たせている。具体的には、都市づくりで7つの戦略、30の政策方針、80の取り組みを示した。
このうち「中枢広域拠点域」のさらに内側では、政府の規制緩和を柱にした数多くの都市再生プロジェクト(東京圏国家戦略特別区域)が進行、東京五輪後も都市の姿はさらに変わり続けることになりそうだ。
また2度目の五輪となる「東京2020大会」は、都市としての成熟を示すレガシー(遺産)を残していくことが求められている。そのため、競技施設や選手村のレガシーを都民の貴重な財産として未来に引き継ぐことを念頭にさまざまな取り組みが進んでいる。こうしたレガシーを未来へ引き継ぐ取り組みが、魅力ある都市の姿につながり、都市の成長にも寄与するという好循環の流れになっている。
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