政府、産業界、労働者の政労使が一体となって進めている働き方改革。その一環として、労働基準法改正によって導入された「時間外労働の上限規制」が、今年4月の建設業での適用から半年を迎えようとしています。多くの産業で時間外労働の上限規制の適用が始まった2019年4月(大企業)から5年の猶予後、建設業でも満を持してのスタートとなりました。建設業は企業数で、中小・零細企業が9割以上を占めていますが、時代の転機につながる「働き方改革と時間外労働の上限規制」にどう対応しているのでしょうか。中小・零細企業経営者の本音も合わせて紹介します。
建設業の9割以上を占める中小・零細企業のうち、中小規模の建築・土木工事で元請けを担う「中小元請企業」経営者のいまの心情を一言で言うなら「憂うつ」です。これまで通用してきた元請けとしての対応が難しくなり、企業経営の選択肢が極端に狭まっているためです。建設産業界と国土交通省が連携して進めている「技能労働者の処遇改善」と、政府と産業界挙げて取り組む「賃上げ」は、下請け(協力企業)の発言力と存在感を高めました。その最大の理由は、日本の労働力(生産年齢人口)が今後急激に縮小するなかで、建設生産能力維持の役割を担っているからです。
「夏の真っ盛りの現場風景 酷暑対策で電動ファン付き作業服を着用するケースが当たり前になりつつある」 |
下請けがコントロールできない
元請けが単価の主導権 今は昔
建設業は、今年4月から自らが時間外労働の上限規制に対応を進めています。一方で、運輸業にも4月から上限規制が適用されており、そのため建設業は物流コストの増大や資機材供給の遅れ、作業時間短縮など、いわゆる「2024年問題」に直面しています。
コンクリート圧送やクレーンなど関連業が4週8休を前提に1日の作業時間を見直すことにより、元請けは作業工程の見直し・変更を迫られています。さらに政府がけん引する賃上げが、技能者だけでなく元請企業社員にも波及、この状況を中小元請けの経営者は「単価は専門工事業の言い値」と話します。「(要求された下請け単価を認めなければ)働き方改革によって生じた人手不足のため、職人が集まらない」。
様々な現場で総合的な対応ができる規模の大きな元請けとは違い、中小元請けと下請けとの関係は微妙に変化し始めています。
何も手元に残らない
コスト上昇 今後も不安
4月からの時間外労働の上限規制は、中小元請けの自社の取り組みだけでなく、協力企業との関係にも影響を与えています。これまで元請けの理屈で一定の融通が利いていた作業工程も、協力企業側が取り組んだ働き方改革が進むにつれて、見直しを迫られるケースが生じています。
さらに中小元請経営者の不安に追い打ちをかけたのが、「賃上げ」と「物価高騰」です。土木と建築を手がける中小元請けの経営者からは「下請け単価は指値で素払い。社員の給与も上げたが、価格転嫁はできていない。手元に何も(利益が)残らない。これで会社を続ける意味があるのか」と嘆く声も聞こえてきます。
賃上げ
原資確保、価格転嫁に難しさ
デフレ経済を招いた「コスト削減の縮み志向」から「成長型経済への転換」を目指す好循環のかぎの一つが「賃上げ」です。様々な場面で適切な価格転嫁が行われることで、中小・零細企業にまで幅広く賃上げの流れが波及し、結果的に経済成長へ向けた好循環の実現が期待されます。建設産業界では、今年度の公共工事設計労務単価が全国・全職種の単純平均で前年度比5.9%上昇したことを理由に、政府と建設業4団体は今年3月、官邸で開かれた意見交換会で技能者の賃上げ目標を5%超としました。ただ、現実の公共入札では官積算に基づいた予定価格から1~2割下回る価格で受注するケースが多く、賃上げ目標達成に頭を悩ます中小元請けも多いとみられます。
出典:令和5年職場における熱中症による死傷災害の発生状況(確定値)厚生労働省 |
酷暑対応、いまや喫緊
上限規制より「命を守る」最優先
いま、私たちの大きな関心事は熱中症対応です。経営者は「時間外労働の上限規制も大事だが、まずは現場の酷暑対応が最優先」と口を揃えます。懸念の背景には、業務中の熱中症が労働災害の対象となることがあります。
厚生労働省統計「職場における熱中症による死傷者数の状況(2014~2023年)」によると、熱中症による死亡者及び休業4日以上の疾病者数は、23年に1106人となりました。21年の561人から2年でほぼ倍増しています。
熱中症による業種別死傷者数の割合(2019~2023年計)で、建設業が全業種中で最多の21%を占めていることも、建設業が強い意識を持つ理由です。
国立社会保障・人口問題研究所 『日本の将来推計人口(令和5年推計)』をもとに作成 |
労働力
2030年問題、急減への備えは
政府や所管官庁の国土交通省など行政が、時間外労働の上限規制や賃上げなどの処遇改善を含む「働き方改革」を強力に後押しする大きな理由の一つは、「日本の労働市場の劇的変化」が避けられないからです。日本の人口が減少局面を迎えていることは広く認識されているところです。
「2030年問題」と言われる、人口減に伴う労働市場の激変はかなり深刻です。日本人の労働力=生産年齢人口(15~64歳)は1995年からの20年間ですでに1000万人減少し、さらに2020年から40年の20年間で1500万人超の労働力が減少すると、国立社会保障・人口問題研究所が試算しています。
関係者を最も驚かせたのが、2030年からの10年間で約1000万人が減少するとの試算です。政府が今年度の「骨太方針2024」で、「2030年度までが経済構造への変革を起こすラストチャンス」と危機感を示したのにはこうした背景があります。
東京都の取り組み
今年4月から時間外労働の上限規制が適用されたこともあって、公共発注者も建設業に対して働き方改革を後押しする動きが加速しています。東京都の主な取り組みをまとめました。
◇建設局:「週休2日制確保工事(土木)」実施要領改定=5月1日
これまで⇨土木工事標準単価、物価本掲載の週休2日制補正済み単価を使用
5月1日から⇨物価本掲載の単価(補正前)に週休2日制補正係数を乗じた単価を使用
◇財務局:週休2日促進工事と週休2日交替制工事=4月1日から導入
4週8休を前提に労務費を補正し積算、8休に満たない場合は補正分を減額請求
⇨このほか
◇建設局:建設現場における遠隔臨場試行要領案=4月
土木、建築、土木・建築設備、地質調査に遠隔臨場を適用し、受発注者の作業効率化を図る。なお、試行によって監督・検査などにおける実効範囲や問題点を検証する。
◇財務局:工事関係書類8様式を削除、6様式の記載事項を簡素化=4月
書類の簡素化による工事関係書類の削減
◇建設局:工期設定における「検査に要する資料作成期間」の当面運用=令和5年10月1日から
標準の後片付け期間(20日間)に、必要に応じて「検査に要する資料作成期間」を加算できるものとした。結果、工期延長の場合は工期延伸の契約変更をする。
◇建設局:大規模土木工事(予定価格9億円以上)でCCUS活用工事試行=5月
頼みの綱は団体活動
個社で発注者との対応は無理
中小元請けにとって、時間外労働の上限規制を始めとする働き方改革への取り組みに発注者の理解と支援は欠かせません。特に様々な取り組みを公共発注者・工事がけん引することで、最大市場の民間工事に波及することが期待されています。ただ、中小元請けを筆頭に多くの受注企業は、労務・資機材高騰などによる価格転嫁や工期延長など、公共発注者からのあらゆる要求・要請に二の足を踏むケースも多いと言われます。
二の足を踏む理由について中小元請けのある経営者は、「現場ではモノが言えない。言ったら点数(工事成績)を下げられるかもしれない。点数が下がることは企業にとって致命的」と話します。しかし、それぞれの公共発注者に対して、問題をそのままにせず、適切な対応をしてもらう必要があります。
そこで公共発注者に対応する役割として期待が集まるのが、「業界団体」です。技能労働者の処遇改善や働き方改革への取り組みに伴うコストアップ分の価格転嫁、持続可能な建設業のための入札・契約制度改善などについて、中小元請経営者は「こうした課題は個社の問題にとどまらない。業界全体の課題として団体が前面に出て改善していってほしい」と団体活動強化に期待を寄せています。時間外労働の上限規制適用が始まり、多様な課題が浮上するなかで、業界団体の存在感が増した格好です。
時間外労働規制のポイント
法律(労働基準法)で定められた法定労働時間は1日8時間、週40時間です。この前提のもとに、時間外労働の上限規制「原則(月45時間、年360時間)」と、原則の内容をさらに上回る上限「特別条項」があります。つまり、時間外労働規制は法定労働時間の上に、「原則」と「特別条項」という2階建てとなっているのが大きな特徴です。