東御苑の庭園 小堀遠州が、もとの設計をしたといわれる皇居東御苑の庭園。 |
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本丸のうちには本丸御殿と外観5層内部6階の天守閣(天守、天守台ともいいます)があり、本丸御殿は表(おもて)・中奥・大奥に分けられていました(表2)。ただし重なる火災により施設は焼失、再建・非再建を繰り返します。 秀忠は全体の計画を城の縄張り(基本計画)の大家・藤堂(とうどう)高虎(たかとら)に命じ、普請奉行に内藤忠清ほかを任じます。高虎は高台の本丸の周りに二の丸、三の丸以下の城を順次、右渦巻き状に配置していく計画(渦郭式)をたてました。 建設資材調達と輸送―大名への課役 前回にみた江戸の土木工事(埋め立て)も、建設資材の荷揚げ場を確保する意味がありました。 |
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石垣に刻まれた大名の印(島津公) 予めの申し込みが必要な皇居参観の日に案内されるのが、右手の旧 枢密院の建物に続いて、左手の石垣。職人が自分の持ち場を誇示す るために彫った丸に十の字の薩摩藩のマークが上のほうに見えました 。 |
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蓮池濠(はすいけぼり) この辺りは、江戸城の面影が濃厚です。 夏季には大輪の蓮が花開きます。 |
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二重橋より旧西の丸下(皇居前広場)を望む ここから下を見ると、高さが実感できます。 さらに、明暦の大火で焼ける 前まであった5層の天守閣から江戸を見 渡したら「どのような光景であったか」と想像をふくらませました。 |
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