伊勢国乳熊郷(三重県松坂市中万町)の竹口作兵衛義道は、慶安年間(1648−1651年)に江戸に進出。日本橋に塗物店を営み、作兵衛勝義が元禄初年(1688年)に深川永代橋際に味噌醸造を始め、乳熊屋作兵衛門商店としたのが、ちくま味噌の始まり。
乳熊屋の初代作兵衛は風流の道を嗜み、宝井其角に師事。赤穂浪士の一人大高源吾とは俳諧の友であった。そのよしみで、浪士一行が本懐を遂げ泉岳寺への引上の途路、永代橋に差し掛かった折、店に招き入れて、甘酒粥を振る舞ったという。永代橋脇には、この記念碑がある。
歌舞伎の「四千両小判梅葉」の中にも、「道理で味がいい 味噌はちくまにかぎるのう」という台詞場面が登場し、明治初期より今も公演されている。
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