大手門
勘定奉行の勤務先は本丸表御殿の一室と、大手門を入った取っつきに西に面して建つ下御勘定所でした。
普請・作事・小普請奉行所跡
三奉行所は近接した場所にありました。大手門近くの一等地です。
建設事業に関係する奉行
 幕府の建設事業は、幕府自らによる直轄地(天領)に対する事業と大名に命じる課役の二つに大きく分けられます。後者は大名に対する財力消耗策でもあり、江戸城修築その他の土木事業を興し、諸大名に御手伝普請を命じました。
 建設に関して直接関係する奉行には、町奉行、勘定(かんじょう)奉行(配下の代官や郡代も含めて)、普請(ふしん)奉行、作事(さくじ)奉行、小普請(こぶしん)奉行などがありました。「普請」は石垣づくりや架橋などの土木工事(普請は仏教のことばで「あまねく大衆に請うて労役に従事してもらう」という意味があります)。「作事」は建築工事、「小普請」は幕府建物の普請と修繕を意味しました。
 町奉行は、江戸市中の官費経営の橋梁に関することを担当し、勘定奉行は河川橋梁の普請を担当し、その配下の郡代(ぐんだい)や代官が直轄地の土木工事を担当しました。普請奉行は、土木工事が盛んであった幕府創設当初よりあった役職で、作事奉行は幕府建築工事の整備にともない寛永9年(1632)より老中支配下に常置され、小普請奉行は貞享2年(1685)に新設されました(当初は小普請奉行組頭で元禄14年小普請奉行と改称)。
 このほか、諸大名に課役として命ずる土木工事や営繕に関する事実上の人選を行う奥裕筆(おくゆうひつ)という職もありました。以上のほかにもいろいろな役職が土木建築事業に関係しておりました(表1)。
 つぎに、建設事業に直接関わった奉行職について、建設の任務を中心に見てみましょう。
表1 建設事業を中心とした江戸幕府の職制一覧
  職名 定員 主な職務




大老
1
老中の首班が大老で将軍補佐役として最高の官職。時勢困難な折の臨時職。
老中
4〜5
大老がないときは幕閣の首班で大政を預り庶務を総理し大土木工事をも掌し「万機の政を統ぶる人臣の極」(『明良帯録』)。
側用人
1
将軍にもっとも近侍する役で老中・若年寄も時折その勢威に屈する程であった。
若年寄
4〜5
老中の次席で老中支配以外の旗本を監理統括。
大目付
4〜5
将軍の代理として役職についている旗本および大名を監察する立場にあり、老中の支配下だが老中をも監察し、各藩居城の修理拡張、堤防に関すること、法令の示達など広い職務を所掌。現代風にいえば検事総長か。
目付
16
若年寄の下で、評定所の審議に加わり書類を検閲し訴訟・土木など幕政一切を監察。
町奉行
2
江戸の行政、司法、警察の事務を行い武家寺社を除いた江戸市民を管掌し、火災消防から土木・橋梁・上水までを扱った(幕府が建設した橋梁に関する保有修繕を掌る定橋掛があった)。寺社奉行・町奉行・勘定奉行を「三奉行」といい小大名級の格であった。老中支配下。
勘定奉行
4〜5
収税・徭役・金穀などの出納と幕領の人民に関する訴訟を扱い、天領の代官を管掌した。享保7年より勝手方と公事方にわかれ勝手方は前記の職務のほか河川橋梁の普請等を扱い、公事方は天領の訴訟を扱った。老中支配下。
普請奉行
2
『有司勤仕録』に「是は御城石垣普請、地形縄張、所々石垣凌橋等之司之」とあるように土木工事を掌しそのほかに上水や公有宅地の管理を担当させた。普請・作事・小普請奉行は「下三奉行」といわれた。老中支配下。
作事奉行
2
普請方の性格が土木中心に置かれていたため寛永9年より作事奉行を常置し、建物の造営・修理担当の官制を組織した。老中支配下。
小普請奉行
4
江戸城・寺社・諸屋敷など作事奉行外の破損箇処の小修理にあたったが奉行はこれらの作業を小普請組から人夫に出させ、小普請方や改役の宰領で仕上げさせた。若年寄支配下。
材木石奉行
3
木石の収支、運搬費用や買付などを掌り、営中や社寺の堂宇建造の材木を伐って運輸した。元禄2年より石奉行を併せて材木石奉行と改称した。若年寄支配下。




所司代
1
京都におかれ、幕府の政策を皇室・公卿・門跡に及ぼし、そのほか西国諸大名の監督など老中につぐ要職。
城代
1
大坂・駿府・二条(京都)におかれ、将軍の代理として最高地位にあった。西国諸大名の監視が主務。
奉行
1〜2
長崎・山田・日光・奈良・佐渡など天領におかれ中央三奉行(寺社・町・勘定)の役目を集約した任務を行った。
郡代
4
関東・飛騨・西国(九州)・美濃の四箇所にあり職務は代官と同じで天領を支配した。郡代も代官も勘定奉行支配下の地方行政官。
代官
40〜50
職務内容は郡代とほぼ同じだが、郡代は十万石以上、代官は五万石以上を支配した。代官の職務は地方(耕地調査、新田検地、検見・常免の決定・年貢割付状の交付、宗門人別帳・五人組帳などの検査、堤・川・橋・道などの普請、天災の救済など)と公事(警察、刑事)に分かれ、初期代官は土木技術者としても優れ水利・新田開発などに功績。
黒鍬者
400
御小人といわれた幕府の小者の一つで、除草や下水の疎通など主として土木工事を担当。
(注)北島正元『江戸時代』、『江戸幕府の権力構造』、稲垣史生『時代考証事典』、笠間良彦『江戸幕府役職集成』、松平太郎『江戸時代制度の研究』、河出書房『日本歴史事典』等を参考に作成。
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