創業は、宝暦年間(1751〜64)(詳細不明)。中仙道と日光御成道(岩槻街道)が分岐する本郷追分に店を構え、酒・醤油を商った。
当時、本郷から湯島にかけて糀(こうじ)屋が百軒近くあり、街道沿いに酒、味噌、醤油問屋が集中しており、高崎屋は、こうした食品問屋の中でも大だなとして知られた。
長谷川雪旦・雪提による『高崎屋絵図』には、広大な屋敷、庭など当時の高崎屋の繁栄ぶりが鮮やかな色彩で俯瞰的に描かれている。二世牛長(四代目当主長右衛門)によると、天保の改革の取り締まりで家屋敷を縮小することになり、記録としてこの絵を描いたらしい。
現在は、10代目・渡辺泰司氏が老舗の看板を守る。東京大学の前ということで、学生客も多く、共同輸入組織「吟奏の会」による各種ワイン、同会特選日本酒やベルギー産など輸入ビールも豊富にそろっている。
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